力士のまわしが衣装と言えるかどうかはともかく、あれはあれで意味のある衣装だと思います。欧米人にとっては裸同然でみっともないと言う人もいるようですが、逆に裸同然で究極の肉体力を競うにはあの衣装しかありません。
柔道も柔道着という衣装があれはあれなりに意味があると思います。襟元をある程度掴むことができなければ勝負になりません。剣道の稽古着と袴(はかま)はどうでしょう。もし、意味がなければ白シャツに白ズボンでもいいはずです。現に戦後剣道が再開された当初はGHQの指導で白シャツ、白ズボン姿の「しない競技」というものがありました。私は剣道数百年の歴史の中で、稽古着、袴でなければならない理由があるのだと思います。特に袴は相手に足の動きを悟らせない重要な意味があります。「一眼二足三胆四力」といって剣道では足が二番目に重要なのです。相手の竹刀の動きより足の動きに注意しているという先生もおられます。したがって踏み込みの際右膝は高く上げてはいけないのです。
柔道も柔道着という衣装があれはあれなりに意味があると思います。襟元をある程度掴むことができなければ勝負になりません。剣道の稽古着と袴(はかま)はどうでしょう。もし、意味がなければ白シャツに白ズボンでもいいはずです。現に戦後剣道が再開された当初はGHQの指導で白シャツ、白ズボン姿の「しない競技」というものがありました。私は剣道数百年の歴史の中で、稽古着、袴でなければならない理由があるのだと思います。特に袴は相手に足の動きを悟らせない重要な意味があります。「一眼二足三胆四力」といって剣道では足が二番目に重要なのです。相手の竹刀の動きより足の動きに注意しているという先生もおられます。したがって踏み込みの際右膝は高く上げてはいけないのです。
私には6、7cmの刀キズがあります。縫った跡はありません。何を今頃、こんな近代的な世の中で、と思うかもしれませんが、正真正銘の刀キズなのです。私が小学校の高学年の頃です。私の6つ年上の兄は悪いヤツで、友人の家にあった刀を持ち出し、折ってしまったのです。折れた半分で、あのヤクザが持っているドスを作ったのです。鞘(さや)もあつらえ、正に本物のドスでした。
あるとき、私が木で作った小刀と兄のドスで2人で「えい!」「やー!」とチャンバラのまねごとをしていました。瞬間私の木の刀は本物の刀に切られてしまい、勢い余った力を防ぐため私は左手を差し出したのです。左手中指が根元から先端まで切れました。あまりの痛さで涙も出ません。ぱっくり開いた傷口からは指の骨が見えるほどです。それを父母には鉛筆削りでけがをしたと言いつくろい、何とマーキュロ、とメンタムと包帯で直してしまったのです。後年、兄は会うたびに私の指を気遣ってくれましたが、亡くなって早や2年が過ぎてしまいました。
あるとき、私が木で作った小刀と兄のドスで2人で「えい!」「やー!」とチャンバラのまねごとをしていました。瞬間私の木の刀は本物の刀に切られてしまい、勢い余った力を防ぐため私は左手を差し出したのです。左手中指が根元から先端まで切れました。あまりの痛さで涙も出ません。ぱっくり開いた傷口からは指の骨が見えるほどです。それを父母には鉛筆削りでけがをしたと言いつくろい、何とマーキュロ、とメンタムと包帯で直してしまったのです。後年、兄は会うたびに私の指を気遣ってくれましたが、亡くなって早や2年が過ぎてしまいました。
私は剣道をしますので正座には慣れています。最近はテーブル、イスの生活が浸透し欧米人のように正座ができない若者が多くいます。
剣道のある大先生は「本当は座禅がいいのですが、座禅ができなくてもせめて努めて正座するように」と言っています。正座すると心が落ち着き、不動心が養われるのです。
正座は静座とも書き、剣道では稽古の前後に黙想を伴って行います。準備運動や整理運動に似ていますが、何も考えないまっさらな心にするのがよいとされます。
足の指は親指だけを重ね、足裏全体を座布団のつもりでお尻にあてがい、膝はこぶし3つ程度開きます。背筋は床面に垂直にし、臍下丹田に力を集中させます。
剣道の親戚筋である居合は全て正座から始まります。めったに正座する機会が少なくなった現代でも唯一お葬式の読経の際は正座を余儀なくされます。剣道をやっていてよかったと思う瞬間です。
剣道のある大先生は「本当は座禅がいいのですが、座禅ができなくてもせめて努めて正座するように」と言っています。正座すると心が落ち着き、不動心が養われるのです。
正座は静座とも書き、剣道では稽古の前後に黙想を伴って行います。準備運動や整理運動に似ていますが、何も考えないまっさらな心にするのがよいとされます。
足の指は親指だけを重ね、足裏全体を座布団のつもりでお尻にあてがい、膝はこぶし3つ程度開きます。背筋は床面に垂直にし、臍下丹田に力を集中させます。
剣道の親戚筋である居合は全て正座から始まります。めったに正座する機会が少なくなった現代でも唯一お葬式の読経の際は正座を余儀なくされます。剣道をやっていてよかったと思う瞬間です。
名古屋でサラリーマンをしていた頃、単身ロサンゼルスにマンションを買いに行ったことがあります。アメリカではマンションと言わず、コンドミニマムと言います。サラリーマンを辞めたら気候のいいアメリカ西海岸がいいのではと思ったのです。仮に住まなくても賃貸にして投資のつもりで3000万円くらいはいいかな、と思ったのです。
地元の不動産業者とホテルで待ち合わせをしたら、太ったおばちゃんが大きなアメ車で来ました。隣り町のパサディナまで案内してもらったのですが、学生以来20数年間使ったことのない英語が口から出てくるのに自分で驚きました。事故で怪我が怖いから大きな車に乗っている、とか娘夫婦が来ていてホテルへの到着が遅れたとか・・・。
パサディナで数件物件を内見しました。中には居住中のものもあり、赤ちゃんをあやしながら主婦が洗濯物を整理している様は、それまで映画でしか見たことのないアメリカ人の生活ぶりでしたが日本と全く同じでした。結局買わずに帰国しましたが正解だったかどうか・・・・。
地元の不動産業者とホテルで待ち合わせをしたら、太ったおばちゃんが大きなアメ車で来ました。隣り町のパサディナまで案内してもらったのですが、学生以来20数年間使ったことのない英語が口から出てくるのに自分で驚きました。事故で怪我が怖いから大きな車に乗っている、とか娘夫婦が来ていてホテルへの到着が遅れたとか・・・。
パサディナで数件物件を内見しました。中には居住中のものもあり、赤ちゃんをあやしながら主婦が洗濯物を整理している様は、それまで映画でしか見たことのないアメリカ人の生活ぶりでしたが日本と全く同じでした。結局買わずに帰国しましたが正解だったかどうか・・・・。
自在鍵、灰均し、五徳、十能、火箸これらの言葉を聞いても若い人は何のことか分からないと思います。これらは囲炉裏(いろり)の道具です。囲炉裏は自分の家の庭と同じです。囲炉裏の中の灰はきれいに灰均しであたかも竜安寺の石庭のようにし、自在鍵からはやかんを下げ、時には五徳の上になべをのせることもあります。炭や薪は火箸で取り扱い、十能を使って運んだりします。
囲炉裏は家族の団欒の中心ですから、囲炉裏の淵を踏んだりすると、怒られたものです。どこの家にも囲炉裏があり、毎朝の主婦の一番目の仕事は灰を均す前に灰を金網に一度通してきれいな灰にすることでした。
私が5歳くらいで、母の実家に行ったときでした。翌朝囲炉裏の側で10歳以上も年上の従姉にズボンをはかせてもらっていたときです。私はバランスを崩してどっしりと囲炉裏に尻餅をついてお尻をやけどしてしまいました。自宅に帰ってからしばらく皮膚科に通ったことを覚えています。でも、やけどのことは母との協定で父には内緒でした。
囲炉裏は家族の団欒の中心ですから、囲炉裏の淵を踏んだりすると、怒られたものです。どこの家にも囲炉裏があり、毎朝の主婦の一番目の仕事は灰を均す前に灰を金網に一度通してきれいな灰にすることでした。
私が5歳くらいで、母の実家に行ったときでした。翌朝囲炉裏の側で10歳以上も年上の従姉にズボンをはかせてもらっていたときです。私はバランスを崩してどっしりと囲炉裏に尻餅をついてお尻をやけどしてしまいました。自宅に帰ってからしばらく皮膚科に通ったことを覚えています。でも、やけどのことは母との協定で父には内緒でした。
田舎の秋田にJR矢島線というのがありました。羽後本荘駅から矢島駅までの1時間足らずの線です。
私の母の実家は矢島町で、私が育ったのは本荘市でしたので、矢島線は何かと乗る機会の多い鉄道でした。今は第三セクターの鳥海鉄道と名を変え、一輌編成のディーゼル車が走っており、本荘市も矢島町も合併して今は由利本荘市になってしまいました。
そもそも矢島線は横荘(おうしょう)線と言って本荘市と横手市とを結ぶ鉄道になるはずでした。しかしながら計画の約1/3で矢島線になってしまったのです。もし横荘線になっていれば由利本荘市の人達は東京方面へのアクセスがかなり便利になったものと思われます。
単線の往復のため、先頭の機関車が行きと帰りで向きが逆になったのも懐かしい思い出です。そのためスチームのパイプが連結できず、冬場は各車両に石炭のダルマストーブが設置されていました。通学の高校生が弁当を温めたりしたものです。
私の母の実家は矢島町で、私が育ったのは本荘市でしたので、矢島線は何かと乗る機会の多い鉄道でした。今は第三セクターの鳥海鉄道と名を変え、一輌編成のディーゼル車が走っており、本荘市も矢島町も合併して今は由利本荘市になってしまいました。
そもそも矢島線は横荘(おうしょう)線と言って本荘市と横手市とを結ぶ鉄道になるはずでした。しかしながら計画の約1/3で矢島線になってしまったのです。もし横荘線になっていれば由利本荘市の人達は東京方面へのアクセスがかなり便利になったものと思われます。
単線の往復のため、先頭の機関車が行きと帰りで向きが逆になったのも懐かしい思い出です。そのためスチームのパイプが連結できず、冬場は各車両に石炭のダルマストーブが設置されていました。通学の高校生が弁当を温めたりしたものです。
食事の際、「いただきます」「ごちそうさまでした」の挨拶が聞こえなくなってしまいました。
これらの言葉は「お命頂戴します」「お命頂戴してありがとう」と同意語です。我々が生きてゆく上で、犠牲になった動植物に対しての感謝の気持ちを表したものです。魚や牛、豚物言わぬ野菜や果物にしても我々が生きるためにその命を捧げてくれたのです。逆に、捧げてくれたからにはその命はありがたく頂戴し、粗末にはできないはずです。残念ながら、飽食の世で食べ残しや食べちらかしは日常茶飯事になってしまいました。
似たようなことが剣道にもあります。前にも言いましたが、ルール上は三本勝負ですが、初太刀一本に全力投球すべきです。命は一つだけで、二つもあるはずはないからです。それと同時に打つときは打ち切るということが大切です。わが身を守らんがために不十分な打ちやためらい打ちは相手を苦しめるだけです。打つときも「いただきます」なのです。
これらの言葉は「お命頂戴します」「お命頂戴してありがとう」と同意語です。我々が生きてゆく上で、犠牲になった動植物に対しての感謝の気持ちを表したものです。魚や牛、豚物言わぬ野菜や果物にしても我々が生きるためにその命を捧げてくれたのです。逆に、捧げてくれたからにはその命はありがたく頂戴し、粗末にはできないはずです。残念ながら、飽食の世で食べ残しや食べちらかしは日常茶飯事になってしまいました。
似たようなことが剣道にもあります。前にも言いましたが、ルール上は三本勝負ですが、初太刀一本に全力投球すべきです。命は一つだけで、二つもあるはずはないからです。それと同時に打つときは打ち切るということが大切です。わが身を守らんがために不十分な打ちやためらい打ちは相手を苦しめるだけです。打つときも「いただきます」なのです。
ムシの好かない人というのは必ずいるものです。大抵はその人の考え方が態度に出て、それが自分には受け入れがたいときに「ムシが好かない人」になります。最近の世の中を見ると、ホリエモンのメール問題の民主党の考え方といい、中国や韓国の靖国問題、北朝鮮の対日感情などいずれも「えっ、そんな考え方あるの!」と言いたいほど驚くばかりのことだらけです。ことほど左様に、他人の考えはじぶんでは思ってもみなかった考え方であることがしばしばです。ムシが好かないといって、こちらが無視するのも一つの処世術かもしれませんが、ムシが好かなくてもこちらから話しかけると、意外にもその後でむこうからちょくちょく話しかけてきて打ち解けてくる場合もあります。そのときになって当初自分がムシが好かないと思っていたことが恥ずかしくなることさえあります。要は、避けないで逆に進むことで自らの難局を打開できる糸口が掴める、ということです。いろんな考えに接することができたというおおらかな気持ちになりたいものです。
私が剣道を始めたのは小学校3年生のときで、動機は兄が始めたので一緒にくっついて行ったのです。そのとき兄は中学校3年生で担任の中山先生のお父さんが剣道の先生で、勧められて剣道を始めたのでした。
兄はめきめき腕を上げ、剣道の推薦のような形で法政大学に入学しました。兄が帰省するたびに法政の丸山先生の話が出て、私は一度もお会いしたことがなかったのですが、数年前亡くなられるまで丸山先生のお名前は記憶しています。
兄はその後剣道を離れてしまいましたが、3、4年前私が通っている浜町の日本橋剣友会の稽古を見にきて「なかなかやるじゃないか」と言っていました。それからほどなく兄は62で病死してしまいました。
その後、私が野間道場に通うことになったら梅村先生という兄と法政同期の方が野間におられ、「おまえが岩井の弟か!」とびっくりされましたが、兄が亡くなった直後であったため、引き合わせることはかないませんでした。世の中は狭いものだと思いました。
兄はめきめき腕を上げ、剣道の推薦のような形で法政大学に入学しました。兄が帰省するたびに法政の丸山先生の話が出て、私は一度もお会いしたことがなかったのですが、数年前亡くなられるまで丸山先生のお名前は記憶しています。
兄はその後剣道を離れてしまいましたが、3、4年前私が通っている浜町の日本橋剣友会の稽古を見にきて「なかなかやるじゃないか」と言っていました。それからほどなく兄は62で病死してしまいました。
その後、私が野間道場に通うことになったら梅村先生という兄と法政同期の方が野間におられ、「おまえが岩井の弟か!」とびっくりされましたが、兄が亡くなった直後であったため、引き合わせることはかないませんでした。世の中は狭いものだと思いました。
田舎では幼稚園の頃まで井戸水でした。台所には水がめがあり、手押し式のポンプで井戸水を汲み上げていました。天然ガスが出たということで、ガス管が張り巡らされたのは小学校高学年の頃のことです。それまではかまどが主で薪が燃料でした。いろりがあり炭も重要な燃料でした。店には練炭があり、それを着火させるまで七輪が使われていました。下水管などあるはずもなく、20cm幅の水路が家々を通り、生活雑水はそこを通り川に流されていました。
トイレはもちろんポットン便所です。2,3ヶ月ごとに農家の人が汲み取りに来て喜んで下肥として運んでいったのですが、母は汲み取りにきてくれる度に店から新品のタオル1本をお礼に手渡していたものです。
大根の葉とか野菜の屑などは養豚業者が飼料として回収していました。
テレビが入ったのも小学校高学年の頃です。二槽式洗濯機が入ったのは中学生になったからです。もの珍しさのあまり、近所の人が見学に来たものです。今では信じられない田舎のインフラの数々です。
トイレはもちろんポットン便所です。2,3ヶ月ごとに農家の人が汲み取りに来て喜んで下肥として運んでいったのですが、母は汲み取りにきてくれる度に店から新品のタオル1本をお礼に手渡していたものです。
大根の葉とか野菜の屑などは養豚業者が飼料として回収していました。
テレビが入ったのも小学校高学年の頃です。二槽式洗濯機が入ったのは中学生になったからです。もの珍しさのあまり、近所の人が見学に来たものです。今では信じられない田舎のインフラの数々です。
私は一応理学部の数学科を出ましたが、専攻は解析学の「線形方程式」というものでした。y=ax+b というのはいわゆる一次方程式ですが、xのn乗になると式が線のように長くなるという意味だと思います。英語で言うとリニアエキュエーションといいます。
一次の場合は売り上げと利益のような比例関係の式になりますが、二次、三次となるにつれて要因数が増えてゆきます。
線形方程式が何に使われるかというと、代表例は天気予報です。明日の天気を占うのに気温、風力、風向、気圧など数々の要因がからんできます。過去の要因を線形方程式にし、明日の天気を推定するわけです。
同じように、経済予測や株価予測にも使われます。競馬予想のも使われるかもしれません。
しかしながら、私にとって大学を出て以来36年間この方程式は使われることはありませんでした。予想の反対は「うそよ」を信じたため・・
・・!
一次の場合は売り上げと利益のような比例関係の式になりますが、二次、三次となるにつれて要因数が増えてゆきます。
線形方程式が何に使われるかというと、代表例は天気予報です。明日の天気を占うのに気温、風力、風向、気圧など数々の要因がからんできます。過去の要因を線形方程式にし、明日の天気を推定するわけです。
同じように、経済予測や株価予測にも使われます。競馬予想のも使われるかもしれません。
しかしながら、私にとって大学を出て以来36年間この方程式は使われることはありませんでした。予想の反対は「うそよ」を信じたため・・
・・!
「一芸に達する者は他芸にも達しうる」という言葉が好きです。ご存知の通り、学生の頃英語に秀でた生徒が数学も成績が良く、場合によっては一番の生徒が全科目それぞれにおいても一番だったりしたものです。
おそらく一科目に秀でることにより勉強の仕方というかコツを会得しているものと思われます。
このことは学科に限らず他のことでも言えることです。昔糸川博士という人がいて東大の医学部を出た人でしたが、工学部に転じ「ロケット博士」の異名を得た日本の宇宙開発の先駆者でした。その人が日本生産性本部を退職した後目指したのは、何とバレリーナだったのです。糸川博士は40cm四方の木の枠を考案し、その中で足の動きの練習をしていました。持論は「10年やればその道のプロになれる」というものでした。勉強のコツというより、生き方のコツと言った方がいいかもしれません。我々凡人はせめて一芸だけにでも秀でることを目指さなければなりません。
おそらく一科目に秀でることにより勉強の仕方というかコツを会得しているものと思われます。
このことは学科に限らず他のことでも言えることです。昔糸川博士という人がいて東大の医学部を出た人でしたが、工学部に転じ「ロケット博士」の異名を得た日本の宇宙開発の先駆者でした。その人が日本生産性本部を退職した後目指したのは、何とバレリーナだったのです。糸川博士は40cm四方の木の枠を考案し、その中で足の動きの練習をしていました。持論は「10年やればその道のプロになれる」というものでした。勉強のコツというより、生き方のコツと言った方がいいかもしれません。我々凡人はせめて一芸だけにでも秀でることを目指さなければなりません。
昨日は我家の子供達について書きましたので、今日はカミサンについて書きます。
カミサンは私より3つ下の昭和25年生まれです。私が大学生の頃ひょんなきっかけで知り合いましたが、そのときカミサンはまだ19歳でした。昭和48年に結婚しましたが、そのとき私は25歳、カミサンは22歳でした。それまでは銀行に勤めるOLでしたが、結婚して長女が生まれるまで約5年間住宅展示場で働いてもらいました。
私は転勤族でしたので、一緒にあちこちに住みましたが、長じて単身赴任するようになった頃は松戸の自宅を改装してカミサンに文具やお菓子、ピアノ教室の店を切り盛りしてもらったこともあります。
子供達が成人し、結婚や海外へと家を出ていってしまい、又カミサンと2人暮らしになってしまいました。
熟年離婚がはやっているそうですが、いつ見くだり半を突きつけられるかびくびくの毎日です。
カミサンは私より3つ下の昭和25年生まれです。私が大学生の頃ひょんなきっかけで知り合いましたが、そのときカミサンはまだ19歳でした。昭和48年に結婚しましたが、そのとき私は25歳、カミサンは22歳でした。それまでは銀行に勤めるOLでしたが、結婚して長女が生まれるまで約5年間住宅展示場で働いてもらいました。
私は転勤族でしたので、一緒にあちこちに住みましたが、長じて単身赴任するようになった頃は松戸の自宅を改装してカミサンに文具やお菓子、ピアノ教室の店を切り盛りしてもらったこともあります。
子供達が成人し、結婚や海外へと家を出ていってしまい、又カミサンと2人暮らしになってしまいました。
熟年離婚がはやっているそうですが、いつ見くだり半を突きつけられるかびくびくの毎日です。
私とカミサンの間には子供が3人います。今日はその子達を紹介します。
長女は国文科を出て間もなくサラリーマンと結婚し、高田馬場の東京国際大学で日本語学校の教師をしています。間もなく30歳になりますが子供はまだいません。次女は仏文科を出て3年間OLをやっていたと思ったら、貯めたお金で2年前フランスへ行き大学院の修士課程にいます。長男はポルトガル語学科を出て1年間ブラジル料理店でアルバイトし、1ヶ月前ブラジルに旅立ちました。いわゆる語学留学です。
我家の教育基本方針は「教え合わない」ということでした。初めは丁寧に教えていても、分からないとその内手がでるのが分かり切っていたからですが、本当は親が分からず教え切れなかったからです。3人に学習塾には行かせず「お前達は未塾者だ」と言っていたのですが、本当は学費が出せなかったのです。親の意思に反し3人とも語学系になりました。親の出る幕は未だにありません。
長女は国文科を出て間もなくサラリーマンと結婚し、高田馬場の東京国際大学で日本語学校の教師をしています。間もなく30歳になりますが子供はまだいません。次女は仏文科を出て3年間OLをやっていたと思ったら、貯めたお金で2年前フランスへ行き大学院の修士課程にいます。長男はポルトガル語学科を出て1年間ブラジル料理店でアルバイトし、1ヶ月前ブラジルに旅立ちました。いわゆる語学留学です。
我家の教育基本方針は「教え合わない」ということでした。初めは丁寧に教えていても、分からないとその内手がでるのが分かり切っていたからですが、本当は親が分からず教え切れなかったからです。3人に学習塾には行かせず「お前達は未塾者だ」と言っていたのですが、本当は学費が出せなかったのです。親の意思に反し3人とも語学系になりました。親の出る幕は未だにありません。
「たかが運動会」のオリンピックが盛り上がるのはなぜでしょうか。運動会も昔は盛り上がっていました。クラス対抗、色別対抗など応援合戦したものです。田舎の秋祭りも盛り上がりました。町内別の山車(だし)など競い合ったものです。盛り上がりの原因は「仲間意識」だと思います。日本人だからこそ日本のメダル数が気になるのです。サッカーのJリーグにしろ、プロ野球にしろ、ひいきのチームがあればあるほど盛り上がるのです。田舎の秋祭りが盛り上がらなくなったのは、若者が都会に出てしまって仲間意識が薄れてきたためでしょう。
世界共通語としてエスペラント語が提唱されたことがありましたが、普及しなかったのは仲間意識がないからです。もし宇宙に言葉を話す別の生物が存在すれば、おそらく地球語として普及するかもしれません。地球のあちこちで紛争がおきるのも仲間意識のマイナスの現象です。地球外生物がいない今、我々はグローバルな眼でもっと仲間意識を感じなければならないはずです。
世界共通語としてエスペラント語が提唱されたことがありましたが、普及しなかったのは仲間意識がないからです。もし宇宙に言葉を話す別の生物が存在すれば、おそらく地球語として普及するかもしれません。地球のあちこちで紛争がおきるのも仲間意識のマイナスの現象です。地球外生物がいない今、我々はグローバルな眼でもっと仲間意識を感じなければならないはずです。
「たかが運動会じゃないか」と言いつつオリンピックのテレビを見ています。オリンピックだけではありませんが、我々は「たかが運動会」に何を見ているのでしょうか。私は「人生の縮図」を見ているのだと思います。
学科試験を初め、剣道や運転免許の実技試験などこれまで数々のテストを受けてきました。準備万端のつもりでも結果がでなかったり、運が悪かったり、いろいろ経験してきました。
女子モーグルの上村、里谷にしてみても日本では実力があっても上には上がいるもので、なかなかメダルにはなりませんでした。ジャンプの原田に至っては競技以前の問題で失格のはめになりました。それも本人の「勘違い」が原因だったとは驚きです。
いずれにしても、自分のときもそうであったように、一流選手の他人であっても世界は広いし、自分も思わぬところでミスをするかも知れません。我々は彼らから学ばなければならないのです。
学科試験を初め、剣道や運転免許の実技試験などこれまで数々のテストを受けてきました。準備万端のつもりでも結果がでなかったり、運が悪かったり、いろいろ経験してきました。
女子モーグルの上村、里谷にしてみても日本では実力があっても上には上がいるもので、なかなかメダルにはなりませんでした。ジャンプの原田に至っては競技以前の問題で失格のはめになりました。それも本人の「勘違い」が原因だったとは驚きです。
いずれにしても、自分のときもそうであったように、一流選手の他人であっても世界は広いし、自分も思わぬところでミスをするかも知れません。我々は彼らから学ばなければならないのです。
私は風呂敷が好きです。今は使う人も少なくなり、弁護士とか大学の先生だけだったのが、最近は両者も使わなくなったようです。私は朝稽古の行き帰りに風呂敷に稽古着と袴を包み持ち歩いています。
風呂敷は純日本的なラッピング方法だと思います。布きれ一枚でいろいろな物が包めます。持ち運びに軽く、がさばらず重宝です。四角い物はもちろん、一升瓶などの不定形も包め、しかも2本の一升瓶まで包めるという優れ物です。
私の実家は衣料品店でしたので、いろいろな大きさの、いろいろな柄の風呂敷を売っていたものです。今風呂敷を買おうとしたらどこに行ったら買えるのでしょうか。
ある人の結婚式の引き出物を包んでいる風呂敷(これも引き出物なのでしょうが)を広げてみたら、英語で「I」という字が筆記体で大きく染め抜いていました。けげんに思って新郎に訊ねると、「アイ(愛)は全てを包む」と言ったものです。
風呂敷は純日本的なラッピング方法だと思います。布きれ一枚でいろいろな物が包めます。持ち運びに軽く、がさばらず重宝です。四角い物はもちろん、一升瓶などの不定形も包め、しかも2本の一升瓶まで包めるという優れ物です。
私の実家は衣料品店でしたので、いろいろな大きさの、いろいろな柄の風呂敷を売っていたものです。今風呂敷を買おうとしたらどこに行ったら買えるのでしょうか。
ある人の結婚式の引き出物を包んでいる風呂敷(これも引き出物なのでしょうが)を広げてみたら、英語で「I」という字が筆記体で大きく染め抜いていました。けげんに思って新郎に訊ねると、「アイ(愛)は全てを包む」と言ったものです。
冬季オリンピックが今日から始まりました。選手へのインタビューで試合に臨む意気込みが感じられます。
弓の稽古で何本も矢を射て『「へたな鉄砲数打ちゃ当たる」式で考えてはだめだ、今射る矢が一本だけだという気持ちがなければならない』と誰かが言っていました。
私も剣道の稽古にあたって、「やるべきことは全てやった。今日の今がこれまでの(たかだか1週間とか1ヶ月などという短い期間ではなく、剣暦50年間を通じての)最高の時なのだ」と自ら言い聞かせ、「5番岩井選手!、6番○○選手!」とつぶやきながら蹲踞(そんきょ)します。剣道は普通3本勝負で先に2本取った方が勝ちとなりますが、私は立ち上がったら1本勝負だと思い、初太刀の1本にこだわります。なぜなら、相手が2度も死ぬことはありえないので、1本勝負が筋だと思うのです。このようなメンタルトレーニングで少しは「ない腕」のプラスになっているような気がします。
弓の稽古で何本も矢を射て『「へたな鉄砲数打ちゃ当たる」式で考えてはだめだ、今射る矢が一本だけだという気持ちがなければならない』と誰かが言っていました。
私も剣道の稽古にあたって、「やるべきことは全てやった。今日の今がこれまでの(たかだか1週間とか1ヶ月などという短い期間ではなく、剣暦50年間を通じての)最高の時なのだ」と自ら言い聞かせ、「5番岩井選手!、6番○○選手!」とつぶやきながら蹲踞(そんきょ)します。剣道は普通3本勝負で先に2本取った方が勝ちとなりますが、私は立ち上がったら1本勝負だと思い、初太刀の1本にこだわります。なぜなら、相手が2度も死ぬことはありえないので、1本勝負が筋だと思うのです。このようなメンタルトレーニングで少しは「ない腕」のプラスになっているような気がします。
ここ数日間風邪気味でしたが、ようやく良くなってきたようです。もしかするとインフルエンザだったかも知れません。くしゃみ、鼻水、せきが止みませんでした。
考えてみれば、寒暖の差の激しいことをしょっちゅうやっています。5時半に起きて裸になって顔を洗い、6時15分に着替えて車で道場に行きます。すぐ着替えて吹きっさらしの道場でしばらく待ちます。約1時間の稽古の後は着替えて帰宅しますが、帰宅して朝食後はまた裸になって髭剃り、洗髪、歯磨きをします。昼休みも屋上で素振りをしますし、夜の稽古のあるときは出かけ、ないときは夜も屋上で素振りをします。そのたび毎に汗をふいたり、着替えたりしています。
若い頃は少しぐらいの風邪は軽く稽古をし、汗をかいたらシャワーを浴びるぐらいでかえって早く良くなったものです。いつも思いますが、健康増進のための稽古で怪我をしたり、病気の原因になっては本末転倒になってしまいます。
考えてみれば、寒暖の差の激しいことをしょっちゅうやっています。5時半に起きて裸になって顔を洗い、6時15分に着替えて車で道場に行きます。すぐ着替えて吹きっさらしの道場でしばらく待ちます。約1時間の稽古の後は着替えて帰宅しますが、帰宅して朝食後はまた裸になって髭剃り、洗髪、歯磨きをします。昼休みも屋上で素振りをしますし、夜の稽古のあるときは出かけ、ないときは夜も屋上で素振りをします。そのたび毎に汗をふいたり、着替えたりしています。
若い頃は少しぐらいの風邪は軽く稽古をし、汗をかいたらシャワーを浴びるぐらいでかえって早く良くなったものです。いつも思いますが、健康増進のための稽古で怪我をしたり、病気の原因になっては本末転倒になってしまいます。
子供の頃、相撲は今よりもっと盛んだったような気がします。子供たちの冬のスポーツはもっぱら相撲でした。倒されて転んでも、雪の上なら服は汚れません。それ以上に、おそらく体が温まる最も安上がりな方法だったからでしょう。
ラジオの相撲中継に夢中になっていたものです。その頃の力士は若乃花(初代)、朝汐、鏡里、若秩父などでした。ブロマイドは野球選手より相撲の力士の方が人気があったような気がします。
町外れの小高い丘の上には土俵があり、年に一度地方巡業の力士が来たものです。大相撲の勝者を賭ける賭博まがいな商売が横行し、時々警察に摘発されていました。これも相撲が人気だったからでしょう。
子供たちは皆相撲取りのように太った体格を目指したものです。その頃はメートル法ではなく、尺貫法でしたので、私の兄などは風呂屋に行く度にはかりに乗り、15貫とか16貫を目指していました。戦後の食糧難の反動で太っていることが是とされていたのです。
ラジオの相撲中継に夢中になっていたものです。その頃の力士は若乃花(初代)、朝汐、鏡里、若秩父などでした。ブロマイドは野球選手より相撲の力士の方が人気があったような気がします。
町外れの小高い丘の上には土俵があり、年に一度地方巡業の力士が来たものです。大相撲の勝者を賭ける賭博まがいな商売が横行し、時々警察に摘発されていました。これも相撲が人気だったからでしょう。
子供たちは皆相撲取りのように太った体格を目指したものです。その頃はメートル法ではなく、尺貫法でしたので、私の兄などは風呂屋に行く度にはかりに乗り、15貫とか16貫を目指していました。戦後の食糧難の反動で太っていることが是とされていたのです。
昨日某都立病院に行ってきました。2月月初に検査した肝臓の超音波検査の結果を聞きに行ったのです。午後2時の予約でした。2時10分ほど前に受付し、待つこと延々3時間で、5分ほど医師の説明を聞いて診察室を出たのは5時10分でした。
病院ですので、急患もあるでしょう。先生に急用で電話もあるかもしれません。予約時間通りにゆかず遅れるのは止むを得ないと思います。でもJRでも遅れた場合は遅れた原因と回復の見通しを掲示するなどして知らせてくれるはずです。私はこのJRとの差を問題にしたいのです。
この病院では2年前から入口で診察カードを入力するとポケベルのような端末を持たされて診察の15分ほど前に診察室の近くで待機するようブザーが鳴り、診察の番がくると診察室に入るよう次のブザーが鳴る仕組みになっています。つまり、医師や病院に都合のいいシステムになっていて患者は何で待たされているのか、いつまで待つのか分からないシステムなのです。その内しっぺ返しがくるでしょう。
病院ですので、急患もあるでしょう。先生に急用で電話もあるかもしれません。予約時間通りにゆかず遅れるのは止むを得ないと思います。でもJRでも遅れた場合は遅れた原因と回復の見通しを掲示するなどして知らせてくれるはずです。私はこのJRとの差を問題にしたいのです。
この病院では2年前から入口で診察カードを入力するとポケベルのような端末を持たされて診察の15分ほど前に診察室の近くで待機するようブザーが鳴り、診察の番がくると診察室に入るよう次のブザーが鳴る仕組みになっています。つまり、医師や病院に都合のいいシステムになっていて患者は何で待たされているのか、いつまで待つのか分からないシステムなのです。その内しっぺ返しがくるでしょう。
子供の頃田舎の秋田にはまだ耕運機が出始めの頃でした。コンバインなどという新兵器は私が社会人になってからのことです。
したがって、農耕馬や牛がたくさんおり、農家にとっては馬や牛は家族の一員でした。街中を馬車が通り(今時の時期は馬ソリですが)後ろからつかえたタクシーやらバスが連なっていました。農家の息子が一日の終わりに、その農耕馬にまたがり、街中を悠然と闊歩していました。
牛や馬の飼料も大変だったと思いますが、後始末も大変でした。馬車が通ると、時には遺産が悪臭を放ち、街中ににおいが発ちこめたものです。
そんな厄介物でも冬は堆肥作りに役立ち、山と積まれた堆肥からは発酵して湯気がたっていました。それを雪の積もった田んぼにばら撒いて消雪用になるとともに春には田んぼの肥料となり、おいしい米の素になったのです。堆肥を遠くの田んぼに運ぶ馬ソリの後は雪が踏み固められて、テカテカと光り、その上を滑って遊んだものです。
したがって、農耕馬や牛がたくさんおり、農家にとっては馬や牛は家族の一員でした。街中を馬車が通り(今時の時期は馬ソリですが)後ろからつかえたタクシーやらバスが連なっていました。農家の息子が一日の終わりに、その農耕馬にまたがり、街中を悠然と闊歩していました。
牛や馬の飼料も大変だったと思いますが、後始末も大変でした。馬車が通ると、時には遺産が悪臭を放ち、街中ににおいが発ちこめたものです。
そんな厄介物でも冬は堆肥作りに役立ち、山と積まれた堆肥からは発酵して湯気がたっていました。それを雪の積もった田んぼにばら撒いて消雪用になるとともに春には田んぼの肥料となり、おいしい米の素になったのです。堆肥を遠くの田んぼに運ぶ馬ソリの後は雪が踏み固められて、テカテカと光り、その上を滑って遊んだものです。
私はピアノを弾きますが、今まで一度もピアノの先生について習ったことがありません。ピアノの本には指の番号が付いていますし、ショパンが一生ピアノの先生についたことがなかった、というのが私の理由です。
ときどきナツメロを弾きます。「銀座の恋の物語」「くちなしの花」「瀬戸の花嫁」「高校三年生」などです。でも、ナツメロを弾くとカミサンはいい顔をしません。クラシックであれば何も言いません。
私はおかしいと思います。音楽は読んで字のごとく、音を楽しむものです。たとえば私の好きなショパンの「幻想即興曲」はポーランド民謡が原曲です。日本のピアノ教育はソナチネ、ハノン、ブルギュミュラー、ソナタと面白味の欠けた段階で始まります。
しかしながら、演歌も元はと言えば民謡が原曲です。親しみの持てる曲を楽しく弾き、自然にピアノに馴染んでゆく、そういうピアノ教育が本当のピアノ教育だと思うのですが・・・・。
ときどきナツメロを弾きます。「銀座の恋の物語」「くちなしの花」「瀬戸の花嫁」「高校三年生」などです。でも、ナツメロを弾くとカミサンはいい顔をしません。クラシックであれば何も言いません。
私はおかしいと思います。音楽は読んで字のごとく、音を楽しむものです。たとえば私の好きなショパンの「幻想即興曲」はポーランド民謡が原曲です。日本のピアノ教育はソナチネ、ハノン、ブルギュミュラー、ソナタと面白味の欠けた段階で始まります。
しかしながら、演歌も元はと言えば民謡が原曲です。親しみの持てる曲を楽しく弾き、自然にピアノに馴染んでゆく、そういうピアノ教育が本当のピアノ教育だと思うのですが・・・・。
私の田舎は秋田です。「方言が出ませんね」と言われますが、高校卒業以来秋田を離れていますから無理はありません。でも、田舎に帰れば5分としないうちに田舎の言葉になりますし、田舎から東京に戻って来ても2、3時間は方言が抜けません。お酒が入ってろれつが回らなくなると方言が出てくるようです。有名な秋田民謡の「秋田おばこ」に歌われています。「あんまり口あぐな!スズメこ巣こかける!」
実家は衣料品店をしていましたが、お客が帰った後母が「あの人は○○の在の人だ」と言い当てていました。その在とは店からたかだか10kmぐらいしか離れていない所なのです。
山形大学に入学してお世話になる下宿に行ったとき、下宿のおじさん、おばさんは標準語ですので分かるのですが、そこの子供たちの会話がどうしても聞き取れないのです。隣りの県でありながらこんな状態でした。4年間で何とか山形弁に習熟しましたが、その下宿に近いところに住んでいたカミサンと結婚し、時々山形弁で会話しています。
実家は衣料品店をしていましたが、お客が帰った後母が「あの人は○○の在の人だ」と言い当てていました。その在とは店からたかだか10kmぐらいしか離れていない所なのです。
山形大学に入学してお世話になる下宿に行ったとき、下宿のおじさん、おばさんは標準語ですので分かるのですが、そこの子供たちの会話がどうしても聞き取れないのです。隣りの県でありながらこんな状態でした。4年間で何とか山形弁に習熟しましたが、その下宿に近いところに住んでいたカミサンと結婚し、時々山形弁で会話しています。
私が小学生の頃は犬はほとんど放し飼いでした。なかには野良犬もいました。田舎の小さな町にはハム・ソーセージの工場があり、犬がにおいで惹きつけられ工場から肉を削ぎとった後の骨を拾ってくるのです。ときには道端に馬の頭蓋骨が落ちていることもありました。今だと動物愛護団体から訴えられるようなことです。
町のはずれに製材工場がありました。東北で一番高い鳥海山から切り出したブナの木を加工し、ベニヤ板を作るのです。広い工場敷地にはトロッコがあり、よくそれに乗っては友達と遊んだものです。工場ではトロッコを使う頻度が低かったせいか、工員の誰も子供たちのトロッコ遊びを止めなかったものです。今の親御さんが見たらすぐ「危ない!」といって止めさせるでしょう。
小さな町の2つの工場でしたが、それが今や上場企業なのです。おそらく当時は田舎の安い労働力で工場を経営していたのでしょう。わが町にも上場企業があったのだ!誇らしい気持ちです。
町のはずれに製材工場がありました。東北で一番高い鳥海山から切り出したブナの木を加工し、ベニヤ板を作るのです。広い工場敷地にはトロッコがあり、よくそれに乗っては友達と遊んだものです。工場ではトロッコを使う頻度が低かったせいか、工員の誰も子供たちのトロッコ遊びを止めなかったものです。今の親御さんが見たらすぐ「危ない!」といって止めさせるでしょう。
小さな町の2つの工場でしたが、それが今や上場企業なのです。おそらく当時は田舎の安い労働力で工場を経営していたのでしょう。わが町にも上場企業があったのだ!誇らしい気持ちです。
私は趣味でピアノを弾きますが、今までいろいろなところでご披露してきました。一番多かったのは結婚式の披露宴の席です。若い頃は同僚や友人の結婚式でよく弾いたものです。長女の結婚式でも弾きました。
結婚式で皆さんの前で弾くときは、それなりに前もって練習はしますが、いくら練習してうまく弾けるようになっても楽器であるピアノの音が悪いと折角の練習も水の泡になりますし、第一曲になりません。
あるとき、東京駅丸の内のパレスホテルで結婚式を挙げる同僚のためピアノを弾くことになったことがありました。私は事前にホテルに電話し、いつごろ調律を済ませたピアノなのかを聞きました。ホテルマンは「当方のピアノは大丈夫ですよ」というばかりで、あげくのはてに「どなた様ですか」とあたかも私が著名なピアニストかと思い聞きただす始末でした。式当日、いつものように配膳中にピアノの指慣らしをしようかと、ふと調律カードを見ましたら、その日の午前中の日付になっていました。さすがパレスホテルと感心しきりでした。
結婚式で皆さんの前で弾くときは、それなりに前もって練習はしますが、いくら練習してうまく弾けるようになっても楽器であるピアノの音が悪いと折角の練習も水の泡になりますし、第一曲になりません。
あるとき、東京駅丸の内のパレスホテルで結婚式を挙げる同僚のためピアノを弾くことになったことがありました。私は事前にホテルに電話し、いつごろ調律を済ませたピアノなのかを聞きました。ホテルマンは「当方のピアノは大丈夫ですよ」というばかりで、あげくのはてに「どなた様ですか」とあたかも私が著名なピアニストかと思い聞きただす始末でした。式当日、いつものように配膳中にピアノの指慣らしをしようかと、ふと調律カードを見ましたら、その日の午前中の日付になっていました。さすがパレスホテルと感心しきりでした。
1月16日は結婚記念日でした。33年前のことですので、半月以上も忘れていました。カミサンも何も言わないところをみると忘れているのか、忘れていなくてもあきらめているのか・・・・。
私の田舎の秋田で挙式しました。当時結婚式場などなく小さな町の料亭を借り切って、10畳ほどの部屋をいくつかふすまを取り払い細長い部屋にして式場にしたのです。
真冬であったにも関わらず、当日は雪の全くない日本晴れの晴天でした。カミサンの実家の山形市から先方の両親初め兄弟、親戚、知人が駆けつけ来賓客は総勢6、70人くらいだったと思います。
私が羽織、袴姿で、カミサンは角隠しでした。上座に2人並んで座ったものの、私は袴の中ですそを割るのを忘れ、足がしびれて油汗だったのを記憶しています。新婚旅行は夜行列車で大阪経由四国の金毘羅様でした。海外へのハネムーンなど夢のまた夢の時代です。
知り合ってから30余年、それが今や、ああー・・・・。
私の田舎の秋田で挙式しました。当時結婚式場などなく小さな町の料亭を借り切って、10畳ほどの部屋をいくつかふすまを取り払い細長い部屋にして式場にしたのです。
真冬であったにも関わらず、当日は雪の全くない日本晴れの晴天でした。カミサンの実家の山形市から先方の両親初め兄弟、親戚、知人が駆けつけ来賓客は総勢6、70人くらいだったと思います。
私が羽織、袴姿で、カミサンは角隠しでした。上座に2人並んで座ったものの、私は袴の中ですそを割るのを忘れ、足がしびれて油汗だったのを記憶しています。新婚旅行は夜行列車で大阪経由四国の金毘羅様でした。海外へのハネムーンなど夢のまた夢の時代です。
知り合ってから30余年、それが今や、ああー・・・・。
私は金にならないことを結構やっています。
まず剣道です。剣道は「福祉スポーツ」であって、「営利スポーツ」ではありませんので、サッカーや野球のプロ選手と違って、いくら腕を上げても何億、何十億のお金を稼ぐことができません。
ピアノも弾きますが、誰かに聴いてもらってお金をもらうなどとは考えておりません。でも、剣道もピアノも趣味として毎日続けてやっています。ご苦労なことです。
趣味でない、お金にならないこととして、NPO「シニアシンクタウン」を理事長として主宰しています。これは団塊の世代の生き方を模索するグループでNPOは「非営利活動法人」ですので、まさにお金にはなりません。
昨今、拝金主義がはびこり、お金のためには手段を選ばない世になりましたが、長年資本主義の中心である証券会社に身を置いてきた私が拝金主義を嘆きつつ、毎日金にならないことに努力しているのです。
まず剣道です。剣道は「福祉スポーツ」であって、「営利スポーツ」ではありませんので、サッカーや野球のプロ選手と違って、いくら腕を上げても何億、何十億のお金を稼ぐことができません。
ピアノも弾きますが、誰かに聴いてもらってお金をもらうなどとは考えておりません。でも、剣道もピアノも趣味として毎日続けてやっています。ご苦労なことです。
趣味でない、お金にならないこととして、NPO「シニアシンクタウン」を理事長として主宰しています。これは団塊の世代の生き方を模索するグループでNPOは「非営利活動法人」ですので、まさにお金にはなりません。
昨今、拝金主義がはびこり、お金のためには手段を選ばない世になりましたが、長年資本主義の中心である証券会社に身を置いてきた私が拝金主義を嘆きつつ、毎日金にならないことに努力しているのです。
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