昭和55年前後のことです。当時私はサラリーマンで新潟のお客様を担当していました。毎月1回は新潟に出張で行っていました。今でこそ上越新幹線がありますが、当時はまだ開通していませんでした。
新潟の燕、三条は刃物や金属加工が地場産業の町です。そこのお客様からは爪切りを20個ほど頂戴し、部員に配ったりしておりましたが、あるとき私のためにと包丁一本を頂戴したのでした。さて、その後新潟市内のお客様を回り、新潟空港から羽田に向かって帰路につこうとしたときでした。空港のチェックでカバンの中の包丁が見つかり、「これ何ですか?」「包丁です」「え!」とカウンターは一時騒然となりました。お客様からのプレゼントであることを釈明し、機長預りとなりました。まさに機長品(貴重品)です。明日からテロ対策で、液体の機内持ち込みが禁止されるのだそうです。しょうがない措置だとは思いますが、液体はもちろん、贈答品の包丁でも手荷物として機内に持ち込める、おおらかな日がくることを望みます。
新潟の燕、三条は刃物や金属加工が地場産業の町です。そこのお客様からは爪切りを20個ほど頂戴し、部員に配ったりしておりましたが、あるとき私のためにと包丁一本を頂戴したのでした。さて、その後新潟市内のお客様を回り、新潟空港から羽田に向かって帰路につこうとしたときでした。空港のチェックでカバンの中の包丁が見つかり、「これ何ですか?」「包丁です」「え!」とカウンターは一時騒然となりました。お客様からのプレゼントであることを釈明し、機長預りとなりました。まさに機長品(貴重品)です。明日からテロ対策で、液体の機内持ち込みが禁止されるのだそうです。しょうがない措置だとは思いますが、液体はもちろん、贈答品の包丁でも手荷物として機内に持ち込める、おおらかな日がくることを望みます。
今朝の産経新聞によると、マラソンの瀬古選手は現役時代、60キロ、70キロ走るときもあったそうです。それは42キロが長くないと思わせるための走り込みだったとのことです。
剣道ではたったの一振りが勝負を決します。たとえ三本勝負で、二本先取した方が勝ちであっても「初打ち一本」といって最初の一振りに重点がおかれます。しかも、その一振りは相手が打ってきた太刀を打ち返しての一振りよりも、相手が出ようとしてそれが形に表れないうちに出される一振りの方が重視されます。つまり、「後の先」より「先前の先」の一振りが大事なのです。
百万遍の素振りを決心してから、毎日千本素振りを実行しています。それはたったの一振りのため、できれば「先前の先」の一振りのための素振りなのです。これはマラソン同様、大変なことだと思います。素振りのみならず、毎日の稽古もこの一振りのためにあると言っても過言ではありません。そういう一振りで見る人を感動させたいものです。
剣道ではたったの一振りが勝負を決します。たとえ三本勝負で、二本先取した方が勝ちであっても「初打ち一本」といって最初の一振りに重点がおかれます。しかも、その一振りは相手が打ってきた太刀を打ち返しての一振りよりも、相手が出ようとしてそれが形に表れないうちに出される一振りの方が重視されます。つまり、「後の先」より「先前の先」の一振りが大事なのです。
百万遍の素振りを決心してから、毎日千本素振りを実行しています。それはたったの一振りのため、できれば「先前の先」の一振りのための素振りなのです。これはマラソン同様、大変なことだと思います。素振りのみならず、毎日の稽古もこの一振りのためにあると言っても過言ではありません。そういう一振りで見る人を感動させたいものです。
「忘却とは忘れ去ることなり」と言ったのはある映画での台詞だったと思います。私の母は86で認知症の気配はないものの、忘れることの名人です。
大体、老人というものは一般に話しがくどいのが普通ですが、母も同じ話しを何度もするので、「もうその話しは百遍聞いたよ」と悪態をつくと、歳をとると何を話したか、あるいはその話しをかつて話したことがあったかどうかを忘れるのだそうです。従って、母の話しの内容は世間話の繰り返しで、テレビの内容には関心がなく新しい話題についてゆけない感じです。玄関が何階で、自分の部屋が何階にあり、居間が何階にあるのかさえ何度言い聞かせても覚えられません。道で迷子になったらせめてビルの名前ぐらい言ってもらいたいのですが、カタカナ文字のビルの名前がなかなか覚えられないのです。おそらく、このままだと、自分が生きていることさえ覚えられず、死の怖さも忘れて一生を終えるかも知れません。もしかすると、それは神の摂理かも知れません。
大体、老人というものは一般に話しがくどいのが普通ですが、母も同じ話しを何度もするので、「もうその話しは百遍聞いたよ」と悪態をつくと、歳をとると何を話したか、あるいはその話しをかつて話したことがあったかどうかを忘れるのだそうです。従って、母の話しの内容は世間話の繰り返しで、テレビの内容には関心がなく新しい話題についてゆけない感じです。玄関が何階で、自分の部屋が何階にあり、居間が何階にあるのかさえ何度言い聞かせても覚えられません。道で迷子になったらせめてビルの名前ぐらい言ってもらいたいのですが、カタカナ文字のビルの名前がなかなか覚えられないのです。おそらく、このままだと、自分が生きていることさえ覚えられず、死の怖さも忘れて一生を終えるかも知れません。もしかすると、それは神の摂理かも知れません。
今朝の寒さはおそらくこの冬一番の寒さだったようです。こんな寒さの中でも、野間道場は100人ぐらいの稽古熱心な人達でごったがえしていました。ほとんどの人は4、5月の昇段審査に向けて腕を磨いているのです。修行というものは厳しいものです。
亡くなった落語家の小さん師匠は剣道愛好家で、七段範士の腕前でした。現在、範士といえば八段以上ですので、古い制度での七段範士は貴重な存在でもあるし、腕前の高さも偲ばれます。その小さん師匠の手拭いをかぶって今朝も稽古をしましたが、寒いと言っても、去年は道場前の玄関先がガチガチに凍り付いていましたので、今年は楽なものです。
小学生の頃、体育館の巾広の床材の木目がデコボコが大きく、前の日のいい加減な掃除の名残りで水溜りができていました。それが深夜の寒さで凍りつき、素足の稽古は大変でした。氷上の稽古と同じなのです。明日は226事件のあった日で、当時は雪でした。小さん師匠も一兵卒で参加したそうです。明日は雪が降ってもおかしくない季節なのです。
亡くなった落語家の小さん師匠は剣道愛好家で、七段範士の腕前でした。現在、範士といえば八段以上ですので、古い制度での七段範士は貴重な存在でもあるし、腕前の高さも偲ばれます。その小さん師匠の手拭いをかぶって今朝も稽古をしましたが、寒いと言っても、去年は道場前の玄関先がガチガチに凍り付いていましたので、今年は楽なものです。
小学生の頃、体育館の巾広の床材の木目がデコボコが大きく、前の日のいい加減な掃除の名残りで水溜りができていました。それが深夜の寒さで凍りつき、素足の稽古は大変でした。氷上の稽古と同じなのです。明日は226事件のあった日で、当時は雪でした。小さん師匠も一兵卒で参加したそうです。明日は雪が降ってもおかしくない季節なのです。
毎日イダルツ日記を書いていますが、それを毎日読んでくださる方がいるのはありがたいことです。その方々はおそらくお気に入りのブックマークに入れているのでしょう。ホームページへのアクセスを解析すると、ブックマークでアクセスされている方が結構おられますので、日記を読んでくれている方もその内におられるのでしょう。
日記を読んで「秋田のご出身なのですね。それを知って、秋田の人は実直な人が多いと思って安心しました。」と言われたお客様がおられました。生き馬の目を抜く東京での不動産業界で、東京出身の業者は安心して付き合えないということでしょうか。毎日の日記の題材は、以前は日記のページを開いてから、はて今日は何を書こうかな、と20分ぐらい考えていることもありました。最近は仕事以外の時間に、例えば信号待ちをしているときなどに考えるようにしています。ただ、日中考えたことが、いざ日記に書こうとすると、何を書くんだっけ、と忘れることもあり、忘れることのない印象的な話を書くよう努めています。
日記を読んで「秋田のご出身なのですね。それを知って、秋田の人は実直な人が多いと思って安心しました。」と言われたお客様がおられました。生き馬の目を抜く東京での不動産業界で、東京出身の業者は安心して付き合えないということでしょうか。毎日の日記の題材は、以前は日記のページを開いてから、はて今日は何を書こうかな、と20分ぐらい考えていることもありました。最近は仕事以外の時間に、例えば信号待ちをしているときなどに考えるようにしています。ただ、日中考えたことが、いざ日記に書こうとすると、何を書くんだっけ、と忘れることもあり、忘れることのない印象的な話を書くよう努めています。
海外旅行の楽しさは日本と外国の文化の差に驚く、とか外国に行ってみて初めて日本の良さに気が付く、とかいろいろあると思います。
私が始めて海外旅行に行ったのは会社の同僚と中国へ行ったのが始めてでした。上海、桂林、広州そして香港の6泊でした。2度目は同じ同僚と数年後タイに行ったときです。香港、バンコク、チェンマイ、コラン島そして香港の6泊でした。この時点で香港には3度行ったことになるのです。
3度目は前2回のツアーに慣れたこともあり、ロサンゼルスへの一人旅でした。4度目はカミさんと二人でニューヨーク見物の5泊です。5度目はやはりカミさんと翌年ロンドン3泊、パリ3泊の旅行でした。
いずれの旅行もパック旅行でしたが、それ以降海外旅行には行っていません。カミさんとルーブル美術館に行ったとき、「こんなところに子供達が来ることはあるんだろうか?」と聞いたら「あるわよ!」と言われたそのフランスに今次女が住んでいます。
私が始めて海外旅行に行ったのは会社の同僚と中国へ行ったのが始めてでした。上海、桂林、広州そして香港の6泊でした。2度目は同じ同僚と数年後タイに行ったときです。香港、バンコク、チェンマイ、コラン島そして香港の6泊でした。この時点で香港には3度行ったことになるのです。
3度目は前2回のツアーに慣れたこともあり、ロサンゼルスへの一人旅でした。4度目はカミさんと二人でニューヨーク見物の5泊です。5度目はやはりカミさんと翌年ロンドン3泊、パリ3泊の旅行でした。
いずれの旅行もパック旅行でしたが、それ以降海外旅行には行っていません。カミさんとルーブル美術館に行ったとき、「こんなところに子供達が来ることはあるんだろうか?」と聞いたら「あるわよ!」と言われたそのフランスに今次女が住んでいます。
昭和42、3年の頃の話です。当時山形大学に在学していた私は田舎の秋田に帰るのも年に1、2度で家庭教師などのアルバイトに明け暮れていました。意を決して帰ろうと思ったものの、混み合うのもいやで元日の列車で帰ることにしました。奥羽線を北上し、新庄から陸羽西線で酒田を経由し、羽越線でさらに北上し羽後本荘までの旅です。幸い、当時は4、5輌編成のジーゼル車で直通の列車があり、5時間ほどの旅でした。元日の朝、山形駅で列車に乗ったものの、乗客は私以外誰もいないのです。おそらく、各家庭ではおせち料理を囲んでの新年を迎えていた頃で、移動の時間ではなかったのです。列車は私一人を乗せて走りました。途中の駅で乗ってくる人もおりません。1、2時間走った頃、車掌がなんと、温かいお雑煮を持ってきてくれたのです。そんなサービスを受けたのは生まれて初めて、その後もありません。数時間後、田舎に着いて両親にお雑煮を振舞われたことを話しました。さらに、「今日の列車は自分一人だけで、まるでお召し列車のようだった」と。
サラリーマン時代、転勤で名古屋に6年間住んでいたことがありました。最初1年間は一宮市の独身寮に住んでいました。単身赴任だったのです。翌年、中区徳川町に寮を新設したので、入寮NO.1になって約1年間住んでいました。その後、家族を松戸市から呼び寄せ、名東区一社に一戸建を借りて住んでいました。
名古屋は一言で言うと「大きな田舎」だったような気がします。一宮市の寮のとき、夏休みで子供たち3人が来たときは三重県の長島スパーランドに連れて行きました。一社の頃は家族で岐阜県の下呂温泉や高山、あるいは日帰りで京都まで行ってきました。息子によると、小学校の修学旅行も京都だったとかで、後年息子が京都の外国語大学に入学したのは全く知らない土地ではなかったようです。
息子が小学校5年生の頃、名古屋から田舎の秋田まで青春切符で一日がかりで二人旅をしたのもなつかしい思い出です。名古屋は私の剣道心に火がついた土地でもありました。
名古屋は一言で言うと「大きな田舎」だったような気がします。一宮市の寮のとき、夏休みで子供たち3人が来たときは三重県の長島スパーランドに連れて行きました。一社の頃は家族で岐阜県の下呂温泉や高山、あるいは日帰りで京都まで行ってきました。息子によると、小学校の修学旅行も京都だったとかで、後年息子が京都の外国語大学に入学したのは全く知らない土地ではなかったようです。
息子が小学校5年生の頃、名古屋から田舎の秋田まで青春切符で一日がかりで二人旅をしたのもなつかしい思い出です。名古屋は私の剣道心に火がついた土地でもありました。
他人の良い点を見つけ出し、褒めるということは非常に難しいことです。逆に欠点を指摘することは簡単なことです。
剣道をやっていて、つくづく考えるのは、相手の隙(すき)を見出すことの難しさです。相手の欠点を指摘するのが簡単なのに、隙がなかなか見出せないのはどうしてなのでしょう。
最近、私は攻めの剣道に徹しています。「行くぞ、行くぞ」と心の中で思いながら、あるいは「来なければ行くぞ」という気持ちで攻めているのです。西部劇で「抜いたら打つぞ」という場面がありますが、剣道でも原則的には先に打った方が負けです。打つという動作は動作が形となって始まった瞬間から身動きが取れず、相手に打ち返される格好の隙を与えてしまうのです。原則的といったのは試合や審査には時間という制約があるためです。果し合いなど時間制限がない場合は先に打って出た方が負けになるでしょう。時間制限のあるなかで、自分の方から隙をいち早く見つけ出して打って行くのが難しいのです。
剣道をやっていて、つくづく考えるのは、相手の隙(すき)を見出すことの難しさです。相手の欠点を指摘するのが簡単なのに、隙がなかなか見出せないのはどうしてなのでしょう。
最近、私は攻めの剣道に徹しています。「行くぞ、行くぞ」と心の中で思いながら、あるいは「来なければ行くぞ」という気持ちで攻めているのです。西部劇で「抜いたら打つぞ」という場面がありますが、剣道でも原則的には先に打った方が負けです。打つという動作は動作が形となって始まった瞬間から身動きが取れず、相手に打ち返される格好の隙を与えてしまうのです。原則的といったのは試合や審査には時間という制約があるためです。果し合いなど時間制限がない場合は先に打って出た方が負けになるでしょう。時間制限のあるなかで、自分の方から隙をいち早く見つけ出して打って行くのが難しいのです。
40年近くの友人が昨日酒の肴をぶら下げて訪ねて来ました。川口からですから、片道30分ほどです。
彼は学生の頃の同級生でしたが、一緒に大学を出たものの、3年ほど就職した後、「岩井、俺やっぱり医者になりたい」と言って受験勉強に入ったのでした。巣鴨の刺抜き地蔵の近くの四畳半の古い安アパートで、予備校に通い、1年目は準備不足で不合格、2年目は受験直前にオフクロさんを亡くし不合格、3年目にして東北大学歯学部に合格したのでした。3年目の二期校の医学部は不合格でした。「岩井、歯学部だったけど歯医者も医者だろう」と言うので「いや、歯医者は立派な医者だぞ」と答えた記憶があります。
彼の浪人時代は、私は就職していましたので、会社帰りにスーパーで食料品を買って陣中見舞いと称し、時によっては泊まって翌朝そのアパートから出社したこともありました。勉強のじゃまばかりしている悪い友達でした。昨夜はその頃を思い出しつつ二人で痛飲しました。
彼は学生の頃の同級生でしたが、一緒に大学を出たものの、3年ほど就職した後、「岩井、俺やっぱり医者になりたい」と言って受験勉強に入ったのでした。巣鴨の刺抜き地蔵の近くの四畳半の古い安アパートで、予備校に通い、1年目は準備不足で不合格、2年目は受験直前にオフクロさんを亡くし不合格、3年目にして東北大学歯学部に合格したのでした。3年目の二期校の医学部は不合格でした。「岩井、歯学部だったけど歯医者も医者だろう」と言うので「いや、歯医者は立派な医者だぞ」と答えた記憶があります。
彼の浪人時代は、私は就職していましたので、会社帰りにスーパーで食料品を買って陣中見舞いと称し、時によっては泊まって翌朝そのアパートから出社したこともありました。勉強のじゃまばかりしている悪い友達でした。昨夜はその頃を思い出しつつ二人で痛飲しました。
山形市には学生の4年間と、会社の転勤で3年間、合計7年間住みました。加えてカミさんの実家は山形市です。
山形県では全市町村で温泉が出ます。千葉県などのようにほとんど温泉がない県から比べると信じられないほどです。山形県の観光協会でも温泉ラリーと称して全市町村の温泉を一周した人には記念品を贈呈したりしてPRに努めているようです。会社の同僚が一周して記念品を頂戴して、また半年後二周目の記念品をもらいに行ったら、ご遠慮願われたというエピソードもあります。
私も彼ほどではありませんが、あちこちの温泉に行ってみました。米沢の奥の姥湯(うばゆ)温泉などは、ここが日本かと思うほどの絶景の秘湯でした。天童の湯ピアは田んぼのど真ん中から湧き出た温泉で1回300円でした。湯ピアを市民のものとして300円で存続させるかどうかで市長選をかけて戦ったという話も聞きました。上山の銭湯はたったの50円でした。都内にいるとなつかしく思い出させられます。
山形県では全市町村で温泉が出ます。千葉県などのようにほとんど温泉がない県から比べると信じられないほどです。山形県の観光協会でも温泉ラリーと称して全市町村の温泉を一周した人には記念品を贈呈したりしてPRに努めているようです。会社の同僚が一周して記念品を頂戴して、また半年後二周目の記念品をもらいに行ったら、ご遠慮願われたというエピソードもあります。
私も彼ほどではありませんが、あちこちの温泉に行ってみました。米沢の奥の姥湯(うばゆ)温泉などは、ここが日本かと思うほどの絶景の秘湯でした。天童の湯ピアは田んぼのど真ん中から湧き出た温泉で1回300円でした。湯ピアを市民のものとして300円で存続させるかどうかで市長選をかけて戦ったという話も聞きました。上山の銭湯はたったの50円でした。都内にいるとなつかしく思い出させられます。
プロ野球のナイターなどで、ときどき見られる光景ですが、デッドボールを当てられたバッターがピッチャーに掴みかかるとか、それを機に両軍のベンチから飛び出した選手が乱闘になるとか、子供たちが見ているのにみっともない光景です。
剣道では、上記のような光景は想像できません。選手自身が判定に疑問を持っても、直接異議を唱えることはできないのです。異議があれば監督を通じてしか唱えられません。
竹刀を握ると人格が変わる、と揶揄される人もいます。格闘技ですし、真剣のつもりであれば生きるか死ぬかの勝負ですので、カッカッと興奮するのもやむを得ません。でも、剣道から「礼」を取ったら粗暴な競技しか残りません。相撲や柔道初め日本の格闘技が「礼に始まり、礼に終わる」のは粗暴にならないように戒めているからなのです。
そういう意味では、野球やサッカーは粗暴な競技と言わざるを得ません。ルールブック以外のルールを作ることが大切のようです。
剣道では、上記のような光景は想像できません。選手自身が判定に疑問を持っても、直接異議を唱えることはできないのです。異議があれば監督を通じてしか唱えられません。
竹刀を握ると人格が変わる、と揶揄される人もいます。格闘技ですし、真剣のつもりであれば生きるか死ぬかの勝負ですので、カッカッと興奮するのもやむを得ません。でも、剣道から「礼」を取ったら粗暴な競技しか残りません。相撲や柔道初め日本の格闘技が「礼に始まり、礼に終わる」のは粗暴にならないように戒めているからなのです。
そういう意味では、野球やサッカーは粗暴な競技と言わざるを得ません。ルールブック以外のルールを作ることが大切のようです。
私の趣味は剣道とピアノですが、両方とも開発途上のために3人の子供に教えたことはありません。自分自身の稽古や練習が精一杯で、教えるヒマが無いのです。
上二人は女の子ですが、その子達が小学生の頃、自宅に「音楽教室」の大きな看板を掲げ、ヤマハと河合のピアノの先生に来てもらっていました。その先生達には勝手に近所の子供達を集めてもらって、我家はグランドピアノとそれを置いている部屋を貸すということで貸し賃を得ていました。その貸し賃そっくりで二人の女の子のピアノの授業料にしていたのです。私は当時サラリーマンでしたので、教室は土日を休みにし、私がもっぱら自分の練習用に土日使っていました。
3人目は男の子で、若い頃から我が子と竹刀を交えるのを夢見てきましたが、実際はあちらこちらの道場に一緒に連れて行ったものの、稽古は他の先生につけてもらいなさい、と子供と稽古するのは年末1回進歩を見るときだけでした。今、子供達は剣道もピアノもやっていません。
上二人は女の子ですが、その子達が小学生の頃、自宅に「音楽教室」の大きな看板を掲げ、ヤマハと河合のピアノの先生に来てもらっていました。その先生達には勝手に近所の子供達を集めてもらって、我家はグランドピアノとそれを置いている部屋を貸すということで貸し賃を得ていました。その貸し賃そっくりで二人の女の子のピアノの授業料にしていたのです。私は当時サラリーマンでしたので、教室は土日を休みにし、私がもっぱら自分の練習用に土日使っていました。
3人目は男の子で、若い頃から我が子と竹刀を交えるのを夢見てきましたが、実際はあちらこちらの道場に一緒に連れて行ったものの、稽古は他の先生につけてもらいなさい、と子供と稽古するのは年末1回進歩を見るときだけでした。今、子供達は剣道もピアノもやっていません。
サラリーマンの頃は随分サービス残業をやったような気がします。朝は
1時間以上かけて通勤し、7:15には会社に着いていました。7:30からのミーティングのためですが、前夜もミーティングをやっていますので、気休めのようなものです。いくら残業をやっても管理職は手当てが付かないのだそうで、夜も雑務で20:00過ぎまで会社に残っておりました。
17:00が定時だとすると、民間のサラリーマンはチャイムが鳴ってから身支度するところが、公務員は身支度をし終えてチャイムがなったら庁舎を出るのだとよく言われます。公務員は親方日の丸で自己主張が通るのでしょうが、民間ではなかなかそうはいきません。
最近の若者は、定休日の前日でも「明日は休みます」と言って退社するようですが、私の頃は「明日は休ませていただきます」と言ったものです。自己の権利意識が向上したせいでしょうが、私も若い頃、サービス残業などせず、自己の権利を主張すればよかったかもしれません。
1時間以上かけて通勤し、7:15には会社に着いていました。7:30からのミーティングのためですが、前夜もミーティングをやっていますので、気休めのようなものです。いくら残業をやっても管理職は手当てが付かないのだそうで、夜も雑務で20:00過ぎまで会社に残っておりました。
17:00が定時だとすると、民間のサラリーマンはチャイムが鳴ってから身支度するところが、公務員は身支度をし終えてチャイムがなったら庁舎を出るのだとよく言われます。公務員は親方日の丸で自己主張が通るのでしょうが、民間ではなかなかそうはいきません。
最近の若者は、定休日の前日でも「明日は休みます」と言って退社するようですが、私の頃は「明日は休ませていただきます」と言ったものです。自己の権利意識が向上したせいでしょうが、私も若い頃、サービス残業などせず、自己の権利を主張すればよかったかもしれません。
今日はバレンタインデーだそうです。
十数年前、私は証券マンで企業や金融機関などの機関投資家といわれるお客様を相手に資金運用の商売をしていました。そういう法人相手の第一線の営業マンにはアシスタントとして女性スタッフのバックオフィスがありました。広島県下のある支店での話しです。そこには上場企業が2、3ある中堅都市でしたが、その支店の法人課の女性スタッフが上場企業であるF社を訪問し、80歳近い会長さんにチョコレートを差し出したのでした。女子社員が帰ってから、会長はいぶかしく思い、息子である常務を呼びつけ、何で、自分が若い女性からチョコレートをもらわなければならないのか、聞き質したそうです。常務が説明し、納得したそうです。翌日、その支店には思いもかけない大量の株式の発注がF社からあったのでした。その法人課が表彰されたことはいうまでもありません。そして、翌年から全支店で女性スタッフがチョコレートを配ることが仕事になったのでした。
十数年前、私は証券マンで企業や金融機関などの機関投資家といわれるお客様を相手に資金運用の商売をしていました。そういう法人相手の第一線の営業マンにはアシスタントとして女性スタッフのバックオフィスがありました。広島県下のある支店での話しです。そこには上場企業が2、3ある中堅都市でしたが、その支店の法人課の女性スタッフが上場企業であるF社を訪問し、80歳近い会長さんにチョコレートを差し出したのでした。女子社員が帰ってから、会長はいぶかしく思い、息子である常務を呼びつけ、何で、自分が若い女性からチョコレートをもらわなければならないのか、聞き質したそうです。常務が説明し、納得したそうです。翌日、その支店には思いもかけない大量の株式の発注がF社からあったのでした。その法人課が表彰されたことはいうまでもありません。そして、翌年から全支店で女性スタッフがチョコレートを配ることが仕事になったのでした。
新潟市に転勤で6年間住んでいたことがあります。3人目の子が生後2ヵ月ほどで、羽田から家族5人飛行機に乗り着任しました。もっとも、その年の暮れ上越新幹線が開業して飛行路線は廃止になりました。
新潟市の市場にはずいぶんお世話になりました。海の幸が豊富で、とりわけ紅ズワイガニは安くていつも大量に買い付けていました。日本海の海岸の7号線を北上すると、5時間で郷里の秋田に着きますので、しばしば紅ズワイガニを発泡スチロールの箱に入れ、お土産で持って行ったものです。次女は甘エビが大好きで親の懐を気にする様子もなくずいぶん食べていたものです。ノド黒という魚がおり、口を開けると、まさにのどが真っ黒なのですが、味は絶品でした。イカの子(卵)というものがあり、煮付けて酒の肴にしましたが、あれ以来、スーパーやデパートでイカの子に出会ったことはありません。鮭の昆布巻きというものが売られており、特に年末などには本社の同僚からおせち料理の一品として宅配便を頼まれることもしばしばでした。もう一度住みたい町です。
新潟市の市場にはずいぶんお世話になりました。海の幸が豊富で、とりわけ紅ズワイガニは安くていつも大量に買い付けていました。日本海の海岸の7号線を北上すると、5時間で郷里の秋田に着きますので、しばしば紅ズワイガニを発泡スチロールの箱に入れ、お土産で持って行ったものです。次女は甘エビが大好きで親の懐を気にする様子もなくずいぶん食べていたものです。ノド黒という魚がおり、口を開けると、まさにのどが真っ黒なのですが、味は絶品でした。イカの子(卵)というものがあり、煮付けて酒の肴にしましたが、あれ以来、スーパーやデパートでイカの子に出会ったことはありません。鮭の昆布巻きというものが売られており、特に年末などには本社の同僚からおせち料理の一品として宅配便を頼まれることもしばしばでした。もう一度住みたい町です。
東京の1、2月は晴天が続き、夜屋上で素振りをしていると、満天の星空が仰ぎ見られます。これが東京の空か、と思うほどです。今は東の夜空に宵の明星=金星が人一倍明るく輝いて見られます。
小学校高学年生の頃、月の満ち欠けの勉強で満月は18時に見え出し、半月は0時頃見え出す、などを学び宇宙や天体に興味を抱いたことがありました。そのまま、興味を持ち続ければ人生も違っていたかも知れません。3人の子供達には小さい頃から「今なら医者だろうが、宇宙飛行士だろうが、総理大臣だろうが何にでもなれるけれど、段々なれるものがせばめられてゆくぞ!」と諭したことがありました。
そのことは自分自身にもあてはまることで、今さら夜空を見て宇宙に興味を抱いたところで、宇宙飛行士になれるはずはありません。つくづく、子供というのは、何にでもなれる可能性を秘めている点ですばらしいことだと思います。そんなことを考えながら今日も黙々と屋上で素振りにいそしんでいます。
小学校高学年生の頃、月の満ち欠けの勉強で満月は18時に見え出し、半月は0時頃見え出す、などを学び宇宙や天体に興味を抱いたことがありました。そのまま、興味を持ち続ければ人生も違っていたかも知れません。3人の子供達には小さい頃から「今なら医者だろうが、宇宙飛行士だろうが、総理大臣だろうが何にでもなれるけれど、段々なれるものがせばめられてゆくぞ!」と諭したことがありました。
そのことは自分自身にもあてはまることで、今さら夜空を見て宇宙に興味を抱いたところで、宇宙飛行士になれるはずはありません。つくづく、子供というのは、何にでもなれる可能性を秘めている点ですばらしいことだと思います。そんなことを考えながら今日も黙々と屋上で素振りにいそしんでいます。
母が昨年末同居するときに持ってきた荷物の中に私の小学校1年生以来の成績表が入っていました。私の3人の子の成績表などは取っておらず、子供に渡していますので、現存するのやらどうやら・・・。
成績表の他に、中学2年生のときの生徒会副会長認証書、3年生のときの書記認証書も出てきました。当時は生徒会長は3年生が、副会長は2年生がなることになっていました。さらに、会長選挙で落ちた対立候補は自動的に書記になることになっていました。つまり、私は3年生のときの会長選挙に破れ、書記になったのでした。宮崎県の東国原知事が任命しようとした対立候補の副知事任命に似ています。
さて、選挙には敗れたのでしたが、実はその差は一票だったのです。なんと、1,100名の在校生の選挙で一表差だったのです。
後年、結婚して子供連れで田舎に帰ったとき、父と飲み交わしていたとき、父が何をどう間違えたのか「お前は中学のときの生徒会長選挙で一票しか入らなかった」と言い出して愕然とした記憶があります。
成績表の他に、中学2年生のときの生徒会副会長認証書、3年生のときの書記認証書も出てきました。当時は生徒会長は3年生が、副会長は2年生がなることになっていました。さらに、会長選挙で落ちた対立候補は自動的に書記になることになっていました。つまり、私は3年生のときの会長選挙に破れ、書記になったのでした。宮崎県の東国原知事が任命しようとした対立候補の副知事任命に似ています。
さて、選挙には敗れたのでしたが、実はその差は一票だったのです。なんと、1,100名の在校生の選挙で一表差だったのです。
後年、結婚して子供連れで田舎に帰ったとき、父と飲み交わしていたとき、父が何をどう間違えたのか「お前は中学のときの生徒会長選挙で一票しか入らなかった」と言い出して愕然とした記憶があります。
我家に古びた鉄瓶が一個あります。20年ほど前、カミさんが血中の鉄分不足で、鉄瓶で沸かしたお湯なら体に良かろうと思って田舎から取り寄せたのでした。その昔、各家に囲炉裏があった頃、囲炉裏はその家の顔でもありました。囲炉裏の灰は毎朝お手伝いさんが金網で消し炭を除くことから一日の仕事が始まりました。きれいに灰均しで竜安寺の石庭よろしく灰を均し顔である囲炉裏を化粧したものです。囲炉裏に架る鉄瓶も又、顔の一部でした。囲炉裏がきれいでも鉄瓶が色褪せていれば興ざめです。父は南部鉄瓶を買い求め、毎朝濡れ布巾でペタペタと叩いていたのでした。そうすることにより、鉄瓶はぶつぶつの奥まで磨かれ、えも言えぬしっとりとした色あいになるのです。母の台所で何かを刻む音と父のペタペタ音は毎朝の風物でした。あるとき、私は磨き粉を持ち出し鉄瓶をごしごし磨き始めました。鉄の地肌が出始めました。それを見つけた父は何も言いませんでしたが、翌朝からペタペタの音は聞こえなくなりました。その鉄瓶が今カミさんの役に立っているのです。
クラシックなこととお思いでしょうが、私は毎日風呂敷を愛用しています。ついこの前までは、大学教授とか弁護士などという偉い先生方が風呂敷を使っていましたが、今はそれも見受けなくなってしまいました。一体、風呂敷とか手拭いなどという純日本的な日常品はどこへ行けば売っているのでしょうか?風呂敷は丸いスイカのようなものでも、一升ビン1本、2本でも見事に包み込めます。スーパーのレジ袋の有料化が問題になっていますが、風呂敷は極めてエコロジカルな品物です。
手拭いにしても、あるときはハチマキに、あるときは泥棒の頬かむりに、あるときは剣道のメンをかぶるとき、あるいはハンカチ王子ならぬ手拭いおじさんの汗拭き用にと多彩に使われます。こういう自在な品物をないがしろにする手はありません。
かなり前のことですが、ある結婚式の引き出物に「I」とアルファベットの筆記体で大きく染め付けた風呂敷を頂戴しました。いぶかしく思って尋ねると、「アイ(愛)は全てを包む」と。
手拭いにしても、あるときはハチマキに、あるときは泥棒の頬かむりに、あるときは剣道のメンをかぶるとき、あるいはハンカチ王子ならぬ手拭いおじさんの汗拭き用にと多彩に使われます。こういう自在な品物をないがしろにする手はありません。
かなり前のことですが、ある結婚式の引き出物に「I」とアルファベットの筆記体で大きく染め付けた風呂敷を頂戴しました。いぶかしく思って尋ねると、「アイ(愛)は全てを包む」と。
地デジが始まると、今我家で使っているテレビはそのままでは映らないのだそうで、出費が迫られます。今朝の新聞によれば、マンション住まいの人たちも地デジに移行する際、現在の受信施設の撤去費用を負担しなければならないのだそうです。そのままにしておくと、月額何万円もの負担が永久にかかってくるのだそうです。見たくもないNHKに強制的に受信料を支払わされるようなものです。
2、30年ほど前、田舎の実家の店が道路拡張の都市計画とかで、各家々が1割づつ敷地をカットされました。当局の言い分は敷地がカットされても、きれいな町並みで通行量が増え土地の値段は1割以上値上がりする、というものでした。ところが、現在町はきれいになったものの、車は素通りでシャッター通りと化し、ゴーストタウンの気配すら感じられます。税金は取りやすいところから取る、という主義なのか日本ではサラリーマンは必要経費も認められず源泉徴収です。とかく、お上のやることは不可解です。
2、30年ほど前、田舎の実家の店が道路拡張の都市計画とかで、各家々が1割づつ敷地をカットされました。当局の言い分は敷地がカットされても、きれいな町並みで通行量が増え土地の値段は1割以上値上がりする、というものでした。ところが、現在町はきれいになったものの、車は素通りでシャッター通りと化し、ゴーストタウンの気配すら感じられます。税金は取りやすいところから取る、という主義なのか日本ではサラリーマンは必要経費も認められず源泉徴収です。とかく、お上のやることは不可解です。
田舎で食料品店を経営している親戚から鱈(たら)が宅急便で送られてきました。鱈鍋にしやすいよう切り身になっており、白子も入っていました。この時期、田舎に近い山形県鶴岡市周辺ではこの鱈鍋のことを「じょんがら汁」と言います。家族4人でじょんがら汁にしておいしくいただきました。
鶴岡は海に面していますので、油ののったこの時期の鱈を新鮮なままで料理するのでしょうが、私の生家では雪深い山村ですので、鮮魚が手に入らず鱈を乾燥させ棒鱈にしたものを水で戻して調理していました。なにせ、亡くなった祖母が病弱になった出目金を食べてしまったという鮮魚の蛋白源に飢えていた地域だったのです。
その地域で食料品店を営んでいる親戚は、物流の進歩により、海から離れた土地にも関わらず鮮魚が扱え、さらに、店で売るはずだった鱈を宅急便で東京の我家に発送してくれたのでした。鱈鍋一つで物流の進歩をつくづく実感させられた一晩でした。
鶴岡は海に面していますので、油ののったこの時期の鱈を新鮮なままで料理するのでしょうが、私の生家では雪深い山村ですので、鮮魚が手に入らず鱈を乾燥させ棒鱈にしたものを水で戻して調理していました。なにせ、亡くなった祖母が病弱になった出目金を食べてしまったという鮮魚の蛋白源に飢えていた地域だったのです。
その地域で食料品店を営んでいる親戚は、物流の進歩により、海から離れた土地にも関わらず鮮魚が扱え、さらに、店で売るはずだった鱈を宅急便で東京の我家に発送してくれたのでした。鱈鍋一つで物流の進歩をつくづく実感させられた一晩でした。
私のサラリーマン時代は証券マンでした。証券会社は株、投信、債券を3大商品としていますが、私は一貫して債券畑でした。債券は一言で言うと借用証書のことです。国債は国が発行した借用証書ですし、社債は企業が資金を集めたときの借用証書です。
債券も金利の動向により値段が変動します。私の場合、お客様が金融機関や公共機関がほとんどで所属は金融法人部や公共法人部でした。そういう法人が扱う単位は10億、100億単位でしたので、円以下の銭、厘、毛の単位の価格の商売でした。それでも1億の1銭は1万円ですから、10億の商売で1銭動くと10万円単位の動きになるのです。
銀行は預金者のお金と融資希望者との出会いの場ですが、預金者のお金全部が融資に回る訳ではありません。リスク回避で債券などの有価証券でも運用するのです。その運用益も業務純益といって本業の益と同類になるのです。ですから、銀行も必死で運用するところに金融法人マンのビジネスチャンスがあるのです。その場に30余年携わりました。
債券も金利の動向により値段が変動します。私の場合、お客様が金融機関や公共機関がほとんどで所属は金融法人部や公共法人部でした。そういう法人が扱う単位は10億、100億単位でしたので、円以下の銭、厘、毛の単位の価格の商売でした。それでも1億の1銭は1万円ですから、10億の商売で1銭動くと10万円単位の動きになるのです。
銀行は預金者のお金と融資希望者との出会いの場ですが、預金者のお金全部が融資に回る訳ではありません。リスク回避で債券などの有価証券でも運用するのです。その運用益も業務純益といって本業の益と同類になるのです。ですから、銀行も必死で運用するところに金融法人マンのビジネスチャンスがあるのです。その場に30余年携わりました。
両親の満州生活が長かったためか、私が幼少の頃、毎年年末はテーブル一杯使って家族総出で餃子作りでした。その頃、餃子と言えば、焼き餃子ではなく、水餃子だった記憶があります。私の毎日の昼食はラーメンと餃子に決まっています。餃子は作り置きをし、冷凍庫に入れています。毎日のものですので、それなりに工夫して野菜はキャベツではなく白菜を入れています。外側はパリッと仕上げるため焼き上がりに餃子の周りに油をたらします。それでいて中身をジューシーにするため、具の中にお茶を少し入れています。それでも、なかなかおいしい餃子は作れないもので、いろいろ研鑽を重ねているところです。昨晩、母の86歳の誕生会を兼ね、家族4人で餃子で有名な中華料理店に行ってきました。各人先ずは餃子を注文しましたが、餃子の端をひねって閉じるなどしていない雑な作りにも関わらず、味はやはり家庭で作っているものより格段もおいしいのです。おいしさの秘密を探ろうと会話そっちのけで餃子とにらみ合いましたが、ついに分らず仕舞いでした。
母が今度デイサービスに通うことになりました。毎週1回木曜日ですが、本当は毎日でもいいぐらいです。デイサービスはおじいちゃん、おばあちゃんの幼稚園とも言われていますが、9時にマイクロバスで迎えに来てくれ、昼食やお風呂を含めて3時には送られて来るようです。母は要介護ではなく、要支援のため週1回しか利用できないのだそうです。私が現住所に住むにあたり、どういう建物を建てたらいいか、研究しました。介護の勉強もし、当初グループホームを建てようかと思い、区役所に相談に行ったこともありました。グループホームというのは認知症のご老人が共同生活をし、病気の進行を止め、回復を図る方法なのです。区は初めてのグループホームなので、是非建築してほしいとのことでしたが、結局普通のマンションになってしまいました。グループホームだと建築費の半額が補助されるのでした。そんな訳で、介護事業については一応勉強したつもりですが、母にはデイサービスでいい老後を過ごしてほしいと思います。
毎日、このイダルツ日記をつけていますが、「イダルツ通信」というメールマガジンを毎月1日にメールアドレスを頂戴しているお客様全員に発信しています。お陰様で、その発信数は数百通に及びます。メールアドレスのないお客様、FAXだけのお客様には送れませんから、全顧客数はそのまた数十%アップの数字になります。中には配信依頼のメールがあったお客様もおられますので、開業以来3年間でお客様はずいぶんな数になったと感慨深いものがあります。
イダルツ通信の内容はある日のイダルツ日記に少し手を加えたもので、改めて通信のために書くことはしていません。
通信を出すことにより、何度も情報を提供したのに、なしのつぶてのお客様から配信停止依頼のメールがあって、ああ引っ越したんだなーと推測される場合もあって、逆にほっとすることもあります。
通信を呼んでくれたお客様から「おもしろかった」などの感想メールを頂戴すると、俄然張り合いが出てきます。
イダルツ通信の内容はある日のイダルツ日記に少し手を加えたもので、改めて通信のために書くことはしていません。
通信を出すことにより、何度も情報を提供したのに、なしのつぶてのお客様から配信停止依頼のメールがあって、ああ引っ越したんだなーと推測される場合もあって、逆にほっとすることもあります。
通信を呼んでくれたお客様から「おもしろかった」などの感想メールを頂戴すると、俄然張り合いが出てきます。
今日は同居している母の満86歳の誕生日です。岩井家ではおそらく長寿新記録です。何でも、1歳にならない10ヶ月で歩き始めたとかで親からも丈夫な子だと太鼓判を押されて育ったそうです。5人兄弟の真ん中で、上2人、下2人は男で随分かわいがられて育ったようです。今は一番下の弟(叔父)がホームで老衰のため臥せっているだけです。
血糖値が高いほかは、これと言って悪いところはなさそうです。おしゃべりが好きで、それはほとんどが世間話なのですが、何度も同じ話をするので、聞き飽きた、と言うと老人は何を話したかも忘れるのだそうです。テレビはつけているだけで、あまり見ないようで、「世間話だけでなく、ブッシュ大統領や安倍総理がどうのこうのといった話題をしてみて!、せめてニュースの最初から最後まで見て何を言っているか理解して!」と言っていますが、なかな叶わぬ望みのようです。
お月様に何度もロケットで人が降り立っているんだよ、と言ったら「へー、知らなかった」と驚いていました。こちらが驚きです。
血糖値が高いほかは、これと言って悪いところはなさそうです。おしゃべりが好きで、それはほとんどが世間話なのですが、何度も同じ話をするので、聞き飽きた、と言うと老人は何を話したかも忘れるのだそうです。テレビはつけているだけで、あまり見ないようで、「世間話だけでなく、ブッシュ大統領や安倍総理がどうのこうのといった話題をしてみて!、せめてニュースの最初から最後まで見て何を言っているか理解して!」と言っていますが、なかな叶わぬ望みのようです。
お月様に何度もロケットで人が降り立っているんだよ、と言ったら「へー、知らなかった」と驚いていました。こちらが驚きです。
ペットを飼うお客様が増えてきました。オーナー様もこの世相の変化を察知して敷金の増額や償却など契約がしっかりしていれば、という条件で貸してくれるところが増えてきています。ペット可の他、外人可や楽器可も難しい条件ですが、特に外人については以前より厳しくなってきている感がします。それは最近、外人が主犯の凶悪犯罪が多発していることに起因しているものと思われます。それと、一部の国の人は契約してもいつの間にか契約した人以外の人が大勢寝泊りするようになり、オーナー様が根を上げいるためと思われます。楽器の方は横ばいのような気がしますが、まだまだオーナー様の理解が得られていないのが実情です。私のマンションでは楽器可にしており、3階の住人は趣味でベースを弾いているようです。私自身が4階でグランドピアノを弾いていますので、住人に楽器不可とは言えないのです。私は毎日18時から19時まで弾いていますが、この間は住人の皆さんが残業中でまだ帰宅していないのです。今まで楽器でトラブルが生じたことはありません。
| ホーム |



