昨夜、仲間10人の飲み会がありました。サラリーマンを30余年やって、辞めて6/30で5年になります。5周年を記念して、その後の生き様を語り合おうと10人が集まったのです。思えばこの5年間は激動の5年間でした。会社を辞めた翌月には長女の結婚式でした。今の場所に土地を買い、銀行ローンで上物を建て、松戸からの引越しをレンタカーを借りてやり、会社を立ち上げ、不動産免許を申請し、不動産会社を開業しました。一方ではNPOを立ち上げ理事長として活動を開始しました。また、野間道場にも毎朝通うようにもなったのです。あまりにも多忙を極め、開業直後下血したのです。一週間入院して下血の場所や原因も分からないまま、大腸にガン性のカルチノイドというポリープが見つかり、また処置のため一週間入院するはめになりました。家族も次女がフランスへ、長男がブラジルへ行き、長男は帰国しましたが、大阪に就職しました。86になる母を秋田から引き取って同居したのは去年の年末からでした。これからの5年間はどうなることやら・・・。
選挙が終わって町に静けさが戻ってきました。選挙で思い出すのは中学校3年生のときの生徒会長選挙です。K君と私の二人が立候補し、一騎打ちの戦いでした。それまで私は応援団の団長をやっていたり、ちょっとは校内で知れた存在だったのです。
その中学校は新設で、3年生は6クラスあり、私はA組の出席番号が阿部君に次ぎ2番でした。3年生が初めての卒業生でしたので、私の卒業番号も2番でした。そんなことはどうでもいいのですが、2年生、1年生が新設校の卒業生として控えていましたので、我々3年生はパイオニア的存在だったのです。全校で千人強の生徒がいたと思いますが、体育館での選挙演説会などを開き、投票に突入しました。K君とはわずか1票の差で私は破れました。規則で会長選に敗れた者は自動的に書記長になりましたので、1年間書記長をしました。私の父はどこでどう聞き間違ったのか、私には1票しか入らなかったと長らく思っていたようです。それを聞いて今度は私が長らく心を痛める結果になりました。
その中学校は新設で、3年生は6クラスあり、私はA組の出席番号が阿部君に次ぎ2番でした。3年生が初めての卒業生でしたので、私の卒業番号も2番でした。そんなことはどうでもいいのですが、2年生、1年生が新設校の卒業生として控えていましたので、我々3年生はパイオニア的存在だったのです。全校で千人強の生徒がいたと思いますが、体育館での選挙演説会などを開き、投票に突入しました。K君とはわずか1票の差で私は破れました。規則で会長選に敗れた者は自動的に書記長になりましたので、1年間書記長をしました。私の父はどこでどう聞き間違ったのか、私には1票しか入らなかったと長らく思っていたようです。それを聞いて今度は私が長らく心を痛める結果になりました。
A君は小学校の同級生でした。5年生の夏休み早々、皆で海水浴に行くことになりました。ところが、A君だけが欠席したのです。後日、先生からA君が風邪を引いたと聞かされたのですが、二学期が始まってもA君は登校しませんでした。
A君の家は外科医院をやっており、私の家から100m足らずの距離です。それよりも、私の母が若かりし頃、その医院で看護婦をしていましたし、父の叔母はその医院の看護婦長だったのです。
A君の病名は小児麻痺でした。今思うと、院内感染に違いありません。いくら医者の息子といっても、どうしようもなく、A君は長らく東京で当時最新の治療を受けたのでした。その間、学校からの通知は毎晩のように私が届けに行きました。結局A君は一命は取り留めたものの、セムシのような体になり、そのまま東京で中学、高校と進み医学部に入り、医者になりました。卒業後、父と医院を一緒にやっていましたが、結婚することもなく、40過ぎに亡くなりました。合掌。
A君の家は外科医院をやっており、私の家から100m足らずの距離です。それよりも、私の母が若かりし頃、その医院で看護婦をしていましたし、父の叔母はその医院の看護婦長だったのです。
A君の病名は小児麻痺でした。今思うと、院内感染に違いありません。いくら医者の息子といっても、どうしようもなく、A君は長らく東京で当時最新の治療を受けたのでした。その間、学校からの通知は毎晩のように私が届けに行きました。結局A君は一命は取り留めたものの、セムシのような体になり、そのまま東京で中学、高校と進み医学部に入り、医者になりました。卒業後、父と医院を一緒にやっていましたが、結婚することもなく、40過ぎに亡くなりました。合掌。
取引銀行の案内でセミナーに出席してきました。池袋駅前の某有名ホテルの最上階の部屋で、受講したのは20名弱でした。講師は大阪在住で、某建設会社に席を置く作家で、その先生が書いた最近の本はその分野で売上ベストスリーなのだそうです。2時間の講義はその先生の本を中心に話しが進められ、コーヒーやショートケーキが出てかなり経費のかかったと思われるセミナーでした。セミナーで一番つまらないのは業界主催のセミナーです。数百人が集められ公会堂などで開きますが、出席カードに捺印をもらわないとペナルティがあるのだそうです。何か年度計画の消化セミナーの感がして今一つ身にならないのです。剣道でもセミナーがあり、こちらの方は錬士、教師、範士などの称号審査の一基準になっており、審査直近の2年間で3回以上の出席が強いられます。最近は純粋なセミナーの他に試合の審判をしてもセミナー1回にカウントされるようです。いずれにしても時宜を得たセミナーこそ参加者に喜ばれるはずです。帰ってきて早速銀行にお礼の電話をしました。
昨日、数ヶ月ぶりにフランスにいる28の次女からメールがきました。「論文と口頭試験が受かり、マスターを終了しました。年内に帰国します」とのことでした。3年ほど前、OLを辞め突然「フランスに行ってきます」と言うので、語学留学だとばかり思っていたのですが、大学院だったのです。この子は転勤で名古屋に住んでいたときに千種高校に入りました。家から一番近い高校だったからです。二年生のときに私が転勤になり、北浦和に住居を構えましたので、一番近い浦和高校に転校させようと思ったら、女子は入れません、とのことで、自転車で浦和第一女子高校に通わせました。今私が商売で使っている自転車はそのときのものです。その後、明治大学の仏文科に入りましたが、二部でした。昼アルバイトをし、二年生のとき一部に移ったのでした。卒業後、さくら銀行系の会社に就職したのですが3年で辞め、貯めた資金でフランスに行ったのでした。私は一銭も出していません。今後どういう道を進むものやら、私としては早く結婚してもらいたいのですが・・。
母が「荒城の月」の2、3番の歌詞があやふやになったと言い出し、どこに行ったら分かるだろう、レコード屋さんか、本屋さんかとつぶやいていました。ネットで「荒城の月」を検索すると、一発で分かりました。しかもメロデー付きです。母にインターネットというのは分からないことを調べるには最高に便利だよ、と教え私の家業であるネット不動産についても「駒込 不動産」で検索すると駒込の物件が見れるようになっているんだよ、と教えてあげました。母はもちろんですが、カミさんもパソコンはいじれません。母に至っては携帯電話も預けられません。受信はできても、発信の方法が理解できないし、メールやカメラの操作はもっと分からないのです。
インターネットの発達のお陰でネットショッピングなどもできるようになり、それが小売店の経営を圧迫し、シャッター通りを生む一因にもなっているんだよ、と元洋装品店経営者の母に説明したものの、母の反応は「?????」でした。
インターネットの発達のお陰でネットショッピングなどもできるようになり、それが小売店の経営を圧迫し、シャッター通りを生む一因にもなっているんだよ、と元洋装品店経営者の母に説明したものの、母の反応は「?????」でした。
小学生の頃はテレビもさほど普及しておらず、メディアは新聞とラジオがもっぱらでした。新聞はモノクロでカラーは高校生の頃元日の新聞に1、2ページ入ってきたぐらいです。特に海外のニュースは記事と写真に数日の開きがあり、二度同じ記事に接するようなものでした。
相撲が今以上に盛んで、若乃花(初代)、朝汐全盛時代で、夕方ラジオに噛り付いて聞いていたものです。力士のブロマイドが出回ったのもテレビで実物がすぐ見れなかったからです。夕食時には「赤胴鈴之助」が、夕食後には「とんち教室」などが始まりました。
小学生も高学年になると、いずれ中学生で習うはずの英語を勉強しようという気になり、本屋でNKKのテキストを買い、早朝英語講座を聞きました。高校生になってポータブルラジオというものを買ってもらい大学生、社会人になってからも私の机の上にありました。深夜、O社の大学受験講座を聞いては都会との落差を埋めるのに必死でした。今のように携帯からイヤホンで音楽が聴ける時代は全く想像できませんでした。
相撲が今以上に盛んで、若乃花(初代)、朝汐全盛時代で、夕方ラジオに噛り付いて聞いていたものです。力士のブロマイドが出回ったのもテレビで実物がすぐ見れなかったからです。夕食時には「赤胴鈴之助」が、夕食後には「とんち教室」などが始まりました。
小学生も高学年になると、いずれ中学生で習うはずの英語を勉強しようという気になり、本屋でNKKのテキストを買い、早朝英語講座を聞きました。高校生になってポータブルラジオというものを買ってもらい大学生、社会人になってからも私の机の上にありました。深夜、O社の大学受験講座を聞いては都会との落差を埋めるのに必死でした。今のように携帯からイヤホンで音楽が聴ける時代は全く想像できませんでした。
山形県は全市町村で温泉が湧く温泉王国です。山形で単身赴任している間、かなりの温泉を堪能させていただきました。今でも秘湯中の秘湯と思えるのが、米沢の奥の「姥湯温泉」です。この温泉に行くには歩きか車しかありませんが、バスなどの公共機関はありません。車で行くにも途中スイッチバックがあるのです。スイッチバックとは、急な坂道で、ジグザグに一旦登ってはバックでさらに登ることを繰り返すのです。行き止まりまで行くと、目前の宿までケーブルが張ってあり、荷物はケーブルで、人間はその下を登って行きます。宿は冬期間閉鎖されます。
通常、温泉は井戸を掘って汲み上げるものですが、ここは切り立った崖にパイプを打ち込み、それが源泉で、そこからパイプを蛇腹にして冷ましてから露天風呂に入れています。乳白色の温泉で、硫黄のせいか、周りの景色は切り立った崖といい、日本と思えない異様な光景です。11月、閉鎖直前に行ったときは紅葉がきれいで、異様な光景の上に絶景の眺めでした。後にも先にも姥湯ほどの秘湯はないと思います。
通常、温泉は井戸を掘って汲み上げるものですが、ここは切り立った崖にパイプを打ち込み、それが源泉で、そこからパイプを蛇腹にして冷ましてから露天風呂に入れています。乳白色の温泉で、硫黄のせいか、周りの景色は切り立った崖といい、日本と思えない異様な光景です。11月、閉鎖直前に行ったときは紅葉がきれいで、異様な光景の上に絶景の眺めでした。後にも先にも姥湯ほどの秘湯はないと思います。
小学生の頃、一日の小遣銭は5円でした。駄菓子屋では5円あれば、ハタハタの卵(大きさはゴルフボールくらいで、小さい卵の集合体、田舎では「ブリッコ」と称す)を醤油で煮しめたものが2個買えました。小さい卵を噛み潰して汁を飲むのですが、噛み潰した後の卵の殻はスポンジかゴムのような無味無臭のもので、それをペッ!ペッ!と吐き出してはかじりついていたものです。2個も食べるとあごの骨が痛くなるほど、噛み応えのあるおやつでした。アイスキャンデーも5円で2個買えました。その頃、町の中の「清吉そば屋」の支那そば(ラーメン)が45円でした。唯一の外食産業で、海水浴の帰りなどせがんで入ったものです。昨年、何十年ぶりかで清吉そば屋に入ってラーメンを注文したら、5、600円でしたので、10倍以上になったということです。
バブル期は2桁インフレで、狂乱物価でしたが、年5〜8%ぐらいの物価上昇率であれば、むしろ経済発展の刺激となり、望みたいところです。早くデフレ完全脱却したいものです。
バブル期は2桁インフレで、狂乱物価でしたが、年5〜8%ぐらいの物価上昇率であれば、むしろ経済発展の刺激となり、望みたいところです。早くデフレ完全脱却したいものです。
子供が遠足の日などはどういう訳か早起きしてしまいます。大人だってゴルフコンペの日などは思わず早起きしてしまいます。なぜでしょう?多分、非日常的なことだからです。
グルメではないにも関わらず、キャンプで作ったカレーライスはおいしいのです。飯ごうで炊いたご飯がこげているにもかかわらず、おいしいのです。なぜでしょう?キャンプという非日常的なことだからでしょうか?
日常の延長であれば、お腹が満ち足りて、よりおいしいものを求め、舌も肥えてくるでしょうが、非日常であれば、通常まずそうでもおいしく感じられるのです。いかに人間の感覚がいいかげんなのかの証拠です。
今日、稽古後にバーベキューをしました。目一杯汗をかいた後だけに、ビールもおいしかったのですが、バーベキューの肉やとうもろこし、帆立貝、エビ、焼きソバなどもおいしくいただきました。稽古後の汗を「百万ドルの汗だね!」と言った人がいましたが、同じ発想です。
グルメではないにも関わらず、キャンプで作ったカレーライスはおいしいのです。飯ごうで炊いたご飯がこげているにもかかわらず、おいしいのです。なぜでしょう?キャンプという非日常的なことだからでしょうか?
日常の延長であれば、お腹が満ち足りて、よりおいしいものを求め、舌も肥えてくるでしょうが、非日常であれば、通常まずそうでもおいしく感じられるのです。いかに人間の感覚がいいかげんなのかの証拠です。
今日、稽古後にバーベキューをしました。目一杯汗をかいた後だけに、ビールもおいしかったのですが、バーベキューの肉やとうもろこし、帆立貝、エビ、焼きソバなどもおいしくいただきました。稽古後の汗を「百万ドルの汗だね!」と言った人がいましたが、同じ発想です。
「事実は小説より奇なり」と言いますが、私も一時図書館から多くの本を借りていた頃は最初は名作ものばかりでしたが、次第にドキュメンタリーものに移行した経験があります。
直木賞などの入賞作品はたいてい作者の実体験だったりすることが多いようです。賞をもらって新人作家としてデビューしたものの、それでは経験が尽きたら作品も尽きるということなのでしょうか?作家によっては実生活であえて色恋沙汰に陥り、それをネタに恋愛小説にしている人もいるようです。つまり、源氏物語のように想像力が逞しい作家であれば名作も書けるでしょうが、未体験分野ではやはり描写力が衰えてくるのではないでしょうか?
初めて28,000円もする本を買いました。自分の未体験のことが書かれており、忙しさにかまけて体験するヒマがないため、体験者に従って新しいことを実行したいと思ったからです。考えてみたら、この方式こそが本当の文化の創造ということなのかも知れません。
直木賞などの入賞作品はたいてい作者の実体験だったりすることが多いようです。賞をもらって新人作家としてデビューしたものの、それでは経験が尽きたら作品も尽きるということなのでしょうか?作家によっては実生活であえて色恋沙汰に陥り、それをネタに恋愛小説にしている人もいるようです。つまり、源氏物語のように想像力が逞しい作家であれば名作も書けるでしょうが、未体験分野ではやはり描写力が衰えてくるのではないでしょうか?
初めて28,000円もする本を買いました。自分の未体験のことが書かれており、忙しさにかまけて体験するヒマがないため、体験者に従って新しいことを実行したいと思ったからです。考えてみたら、この方式こそが本当の文化の創造ということなのかも知れません。
先日、ドイツの成人男女約20人が早朝から野間道場に見学に訪れました。いつものギャラリーと違ったのは、稽古後の道場の掃き掃除まで見て行った点でした。何かドイツの国民性を垣間見た思いでした。たいていの見学者は稽古が終わるとさっさと引き揚げるのが普通です。
履歴書の趣味の欄に「読書」とか「音楽鑑賞」、「野球観戦」などと書く人がいますが、私に言わせると、これらは趣味とは言えないものだと思います。実際に楽器などを手にして習ってみて初めてその道の苦労とか奥深さとか演奏者の人間性が分かると思います。学生の頃、ステレオが流行り、クラシック音楽に詳しい人が作曲家や演奏者、指揮者についてウンチクを語っていました。そういう学生を私は軽蔑すらしていました。剣道では「見取り稽古」というのもあります。しかし、これはただの見学ではなく、その道を知った人が見学して勉強することです。野間では単なる見学で日本文化を垣間見るのではなく、竹刀を実際に握って、打ってもらう体験ツアーを考えるべきだと思っています。
履歴書の趣味の欄に「読書」とか「音楽鑑賞」、「野球観戦」などと書く人がいますが、私に言わせると、これらは趣味とは言えないものだと思います。実際に楽器などを手にして習ってみて初めてその道の苦労とか奥深さとか演奏者の人間性が分かると思います。学生の頃、ステレオが流行り、クラシック音楽に詳しい人が作曲家や演奏者、指揮者についてウンチクを語っていました。そういう学生を私は軽蔑すらしていました。剣道では「見取り稽古」というのもあります。しかし、これはただの見学ではなく、その道を知った人が見学して勉強することです。野間では単なる見学で日本文化を垣間見るのではなく、竹刀を実際に握って、打ってもらう体験ツアーを考えるべきだと思っています。
痛くもない腹を探られ、4年前は大腸のカルチノイドというがんのようなものが見つかりましたが、一病息災という言葉もあります。見つかったからこそ健康に留意するようにもなりました。
今日は超音波とCTスキャンで大腸を中心に内臓の検査をしてきました。この種の検査はすぐには結果が出ないようです。半月ほど前やった血液と尿検査の結果もまだ出ていません。先日の眼の検査はすぐ出ました。近視と老眼に乱視が入り、視力は0.2で白内障と動脈硬化のきざしが見えると言われました。何か悪いもののオンパレードみたいです。近視と老眼があり、「近くのものでも良く見えますでしょう?」と医師に言われ、思わず「はい」と答えました。歳とともに新聞を遠ざけて見る人がいますが、私はそういうことはありません。白内障と動脈硬化は老化現象とのことでした。白内障の予防は?と聞いたら、強い日差しを浴びないことでサングラスをすることかな、と言われましたが、タモリじゃあるまいし、今更するつもりはありません。
今日は超音波とCTスキャンで大腸を中心に内臓の検査をしてきました。この種の検査はすぐには結果が出ないようです。半月ほど前やった血液と尿検査の結果もまだ出ていません。先日の眼の検査はすぐ出ました。近視と老眼に乱視が入り、視力は0.2で白内障と動脈硬化のきざしが見えると言われました。何か悪いもののオンパレードみたいです。近視と老眼があり、「近くのものでも良く見えますでしょう?」と医師に言われ、思わず「はい」と答えました。歳とともに新聞を遠ざけて見る人がいますが、私はそういうことはありません。白内障と動脈硬化は老化現象とのことでした。白内障の予防は?と聞いたら、強い日差しを浴びないことでサングラスをすることかな、と言われましたが、タモリじゃあるまいし、今更するつもりはありません。
銀行も証券も広義の金融界ですが、その性格はまったく異なります。銀行の正確な定義は「預金と貸し出しの出会いの場」だそうですが、双方に金利が絡みますので、銀行は休日であっても金利が働いてくれます。それはちょうどお天道様が農作物を育ててくれるのに似ていて、銀行員が農耕民族と言われる所以です。一方、証券マンは資本市場を創設し、そこに投資してくれる投資家を探し、常に収益(手数料)を追いかけていかなければならないので狩猟民族に例えられます。ほとんどの企業が狩猟民族といっても過言ではありません。証券マンでありながら、銀行を担当していた私はそういう差異を見ながら銀行を羨ましく思ったものです。さて、不動産業界はどうかと言うと、ご多分に漏れず狩猟民族です。しかしながら、同じ不動産業でも仲介だけに頼った狩猟民族だけではないと思います。不動産業の中にも農耕民族的な分野があるのでは、と思っています。自社所有の物件を貸す、などですが、今後はこの方面を研究して農耕民族の部分を増やしていきたいと思っています。
大学3年生のちょうど今頃、自転車にテントをくくりつけ旅に出ました。20cm四方の北海道、東北地方が載った一枚の地図と2万円の所持金で行くあても、日数も分からない旅です。山形市を出発し、とりあえず仙台まで行き、天気が良かったら北上、悪かったら南下を決め仙台に向かいました。夕方仙台に着いたら、幸か不幸か晴れでした。北上を決め三陸海岸沿いを青森県野辺地まで行き、フェリーで函館に降り、大沼や伊達を通り、定山渓から札幌に入りました。テントを張って野宿するのはボーイスカウトに入っていましたので、苦もありません。先々のスーパーで出来合いの食品を買い込みレジでお金を払えば会話もなく暮らせました。半ズボンでしたので、無知のため太ももが日に焼け火傷のような痛々しい症状でしたが、沢で洗濯したり、帰りは函館から青森に抜け、八甲田山を通り、ふもとに着いたときは自転車の輪がいびつになっていました。能代、秋田から実家の本荘に付き2、3日後鳥海山に駆け足で上り、18日後山形市に戻りました。1万5千円の出費でした。
最近、離婚が増えてきたことを実感しています。私が幼少の頃は、出戻りと言えば後ろ指を指されるほど珍しいものでした。近頃は、ご主人と別れた奥さんが子供さんと一緒に住むマンションを探したいと来るケースはザラです。別れたご主人がマンションを探して、自分では気に入らなかったものの、別れた奥さんは気に入るだろうと、奥さんを呼び出して再内見したケースもありました。(どうなっているのでしょう?)
離婚ではありませんが、最近母がディサービスで聞いてきた話しです。同じディサービスに通っている、あるおばあちゃんが息子に3,000万円の生命保険をかけたのだそうです。もちろん、毎月の掛金を払っているのはおばあちゃんです。不幸にも、息子さんは病死してしまったのだそうです。そうしたら、嫁さんがおばあちゃんに3,000万円の保険金を払い戻すよう、矢の催促をし、3,000万円が手許に来たら、さっさとそれを持って家を出て行ってしまった、とのことです。離婚といい、この話しといい、私は全て欧米の個人主義の結果だと思っています。
離婚ではありませんが、最近母がディサービスで聞いてきた話しです。同じディサービスに通っている、あるおばあちゃんが息子に3,000万円の生命保険をかけたのだそうです。もちろん、毎月の掛金を払っているのはおばあちゃんです。不幸にも、息子さんは病死してしまったのだそうです。そうしたら、嫁さんがおばあちゃんに3,000万円の保険金を払い戻すよう、矢の催促をし、3,000万円が手許に来たら、さっさとそれを持って家を出て行ってしまった、とのことです。離婚といい、この話しといい、私は全て欧米の個人主義の結果だと思っています。
昭和21年、乳飲み子2人を抱え満州から引き揚げてきた両親は、どこに生活の拠点を置くか思案したそうです。初め、千葉県内を考えたそうですが、結局生まれ故郷の秋田に落ち着きました。その選択の基準は「台風」だったそうです。秋田以北は台風が通る確率が低く、その被害が少ない地域なのです。台風4号が日本列島を直撃しています。パートのお姉さんも「明日は東京にも台風が来ますので休みます」と言って、今日は私一人で仕事をしています。沖縄や九州など台風の通り道になっている地域はお気の毒だと思います。
しかしながら、日本人が優秀なのは四季があり、常に次の気候の心配や準備をしなければならず、台風にも備えなければならなかったからです。常夏で変化がなければ優秀な民族は生まれなかったことでしょう。昔から比べると、気象予報も進歩し、被害も少なくなったと思います。でも、台風の進路を曲げるまでには至っていません。飽くなき自然への挑戦で、いつの日にかはそれも克服できると思います。
しかしながら、日本人が優秀なのは四季があり、常に次の気候の心配や準備をしなければならず、台風にも備えなければならなかったからです。常夏で変化がなければ優秀な民族は生まれなかったことでしょう。昔から比べると、気象予報も進歩し、被害も少なくなったと思います。でも、台風の進路を曲げるまでには至っていません。飽くなき自然への挑戦で、いつの日にかはそれも克服できると思います。
自動二輪車の免許を取得したのは二十歳の頃でした。当時の自動車学校では実地免除があってスクーターで試験を受けた記憶があります。簡単で全員合格でした。ところが、帰省したら兄がオートバイを下取りに車を買ってしまい結局、同じ自動車学校で今度は車の免許を取るハメになりました。私がナナハン(750cc)のオートバイを買ったのは、もはや30を超えていました。ですから、若い頃からの暴走族ではありません。大型免許の試験が厳しくなり、取りにくくなったためナナハンも意外に安く、入谷周辺の店でホンダの新車が45万円くらいでした。さて、買ったものの、都心の会社まで通勤で使うわけにもゆかず、途中の津田沼に駐車場を借りたりしていました。ナナハンに乗って、わざと低速でダッ!ダッ!ダッ!ダッ!と走ると高校生が垂涎の眼で追っていました。ちょうどツインターボなどの車が出始め、赤信号で停車するとスタートダッシュを挑戦してくる車もいました。結局、1年間乗ってスピードを出せる場所もなくホンダの車に代わってしまいました。
「でもしか先生」という言葉があります。「先生にでもなるか」とか「「先生にしかなれない」という意味です。大学を出て、教員免状をもらったものの、でもしか先生にはなりたくないと思って、卒業以来免状は一日たりとて役立てた日はありませんでした。
それにつけても、最近の先生は少しおかしいと思います。自分の意思を表示するのに教員室での会議の賛否を挙手にするかどうかで争われているのだそうです。卒業式で国歌を歌わないとか、国歌のピアノ伴奏をしないなどというのは数年前から見受けられました。一般の企業社会では考えられないことです。
先生がこんな調子ですから、最近給食費を払える家庭にも関わらず、義務教育を盾に支払いを拒否する親が出現するなど、先生の権威がますます低下するのだと思います。先生とは読んで字のごとく、「先に生まれる」ですが、「先ず生きている」とも読めます。決して後者であってはほしくないと思います。
それにつけても、最近の先生は少しおかしいと思います。自分の意思を表示するのに教員室での会議の賛否を挙手にするかどうかで争われているのだそうです。卒業式で国歌を歌わないとか、国歌のピアノ伴奏をしないなどというのは数年前から見受けられました。一般の企業社会では考えられないことです。
先生がこんな調子ですから、最近給食費を払える家庭にも関わらず、義務教育を盾に支払いを拒否する親が出現するなど、先生の権威がますます低下するのだと思います。先生とは読んで字のごとく、「先に生まれる」ですが、「先ず生きている」とも読めます。決して後者であってはほしくないと思います。
秋にあんなに黄色く色づき、冬にすっかり葉が落ち、枝だけになったイチョウの木が今は葉が生い茂り、盛夏を待っています。イチョウの木にオス、メスの区別があるとは子供の頃想像もつきませんでしたが、イチョウの木でかぶれるなどということも全く知りませんでした。かぶれるのは漆の木だけだと思っていました。実家の裏は広大な医院の敷地でした。その敷地には病院の他、入院病棟や医師家族の自宅、蔵などの建物の他、医師家族のための畑や花壇、それに柿の木を初めとして梅、アンズ、さくらんぼ、イチョウなどの木々の他、竹やぶまであり、格好な遊び場でした。医師家族のKちゃんとイチョウの木に登り、銀杏(ぎんなん)採りを始めたのですが、手の爪を黒くしてまで実の中から銀杏を取り出していたのです。銀杏は樽に詰め、水を張ったり、地中に埋めて実を腐らせてから取り出すのです。数時間とかからないうちに二人共かぶれ、全身がかゆくなり出しました。Kちゃんが治療を終えた頃、私のことを「そろそろ来る頃ね」と看護婦さんが言い合っていたそうです。
3人の子供の名前は全部私が付けました。生まれる度に、半紙に筆で「命名 ○○」と大書し、居間の鴨居に貼りつけたものです。今はそんなことをする家はないでしょう。
3人は女、女、男ですが、姓が「岩井」と硬いイメージがあるため、特に女の子は名をひらがなにしました。長女が「なつみ」次女が「みさよ」です。もっとも、結婚すれば姓が変わりますので、ひらがなにしてもどうと言うことはないのですが・・・。ちなみに、実家の衣料品店の屋号は「いわい」で「い」、「わ」、「い」と袖看板にして並べ、右から来る人にも左から来る人にも「いわい」と読めるようにしていました。長男は「律也」で「也」は私の「誠也」の一字をあげました。りつやとしか読めない、いい名前だと思い、いつものように父に電話で命名を報告しました。父は黙って聞いていましたが、役場に届けた後、どこかで聞いたことのあった名前だなあと思ったら、会ったこともない父の姉(叔母)の名前が「律」でした。
3人は女、女、男ですが、姓が「岩井」と硬いイメージがあるため、特に女の子は名をひらがなにしました。長女が「なつみ」次女が「みさよ」です。もっとも、結婚すれば姓が変わりますので、ひらがなにしてもどうと言うことはないのですが・・・。ちなみに、実家の衣料品店の屋号は「いわい」で「い」、「わ」、「い」と袖看板にして並べ、右から来る人にも左から来る人にも「いわい」と読めるようにしていました。長男は「律也」で「也」は私の「誠也」の一字をあげました。りつやとしか読めない、いい名前だと思い、いつものように父に電話で命名を報告しました。父は黙って聞いていましたが、役場に届けた後、どこかで聞いたことのあった名前だなあと思ったら、会ったこともない父の姉(叔母)の名前が「律」でした。
父方の従兄弟のYさんから母宛てに今年もお中元が送られてきました。高級な煎茶です。私もご相伴に預かりました。
亡父は3歳上の姉と二人兄弟でしたが、父が2歳のときに母親を、9歳のときに父親を亡くし、姉と二人で親戚中に預けられて育ったのです。父は生前「自分の母親は4人いる」とよく言っていました。生母と3人の叔母のことなのです。父の姉も結婚後、二人の男の子を残して夫とともに病死し、残された二人の男の子は同居こそしなかったものの、父は自分の境遇もあってか、何くれとなく面倒をみたようです。その二人のうちの一人がYさんなのです。昔は兄弟、親戚の絆が深く、今の核家族や離婚などの生き別れのような希薄な人間関係ではなかったようです。Yさんは父に高価な碁盤や置物を贈ってくれたこともありました。私の息子が大学に入学した際はお祝いまで送ってくれました。息子まで貰うのはどうかと思い、息子に手土産を持たせてお礼に自宅を伺わせたら、かえってご馳走になって帰ってきました。
亡父は3歳上の姉と二人兄弟でしたが、父が2歳のときに母親を、9歳のときに父親を亡くし、姉と二人で親戚中に預けられて育ったのです。父は生前「自分の母親は4人いる」とよく言っていました。生母と3人の叔母のことなのです。父の姉も結婚後、二人の男の子を残して夫とともに病死し、残された二人の男の子は同居こそしなかったものの、父は自分の境遇もあってか、何くれとなく面倒をみたようです。その二人のうちの一人がYさんなのです。昔は兄弟、親戚の絆が深く、今の核家族や離婚などの生き別れのような希薄な人間関係ではなかったようです。Yさんは父に高価な碁盤や置物を贈ってくれたこともありました。私の息子が大学に入学した際はお祝いまで送ってくれました。息子まで貰うのはどうかと思い、息子に手土産を持たせてお礼に自宅を伺わせたら、かえってご馳走になって帰ってきました。
幼稚園から高校卒業まで育った田舎の秋田県由利本荘市には田んぼのはずれに「わんこ山」がありました。標高100mほどの山ですが、お椀を伏せたような形の山でピクニックやハイキングで慕われている山です。そもそも本荘は本城で、出城に対する本城だといわれています。わんこ山はその出城の一つだったというのです。おそらく、見晴らしのいい山頂から異変を烽火(のろし)などでいち早く本城に知らせていたのでしょう。山頂の建物(城?)は焼き討ちにあったとのことですが、米の白いとぎ汁が流れてくるのを敵の斥候に察知されて焼き討ちにされたという話しがまことしやかに伝えられていました。子供の頃、山頂に遊びに行くと、焼き米が土中から出てきて本当の話しだったのだと子供心に感心したものです。
昨年の12月、母を引き取るために秋田新幹線を乗り継いで羽後本荘駅に降り立ちました。直前、車窓から何十年振りかで見たわんこ山は宅地開発に押されて半分削られていました。悲しいことです。
昨年の12月、母を引き取るために秋田新幹線を乗り継いで羽後本荘駅に降り立ちました。直前、車窓から何十年振りかで見たわんこ山は宅地開発に押されて半分削られていました。悲しいことです。
来月17日は満60歳の誕生日で、還暦になります。昨日、還暦祝いの第一号をやってもらいました。ありがたいことです。
サラリーマン時代に名古屋に6年間おりましたが、名東区の高針剣友会で稽古をしていました。そこでは愚息もお世話になりました。名古屋を離れて久しいのですが、私と同様に、東京に帰った高針剣友会の元メンバー約10人だけで「木鶏会」という会を作り、毎月稽古会を開いているのです。木鶏というのは名横綱双葉山が連勝記録を破られた際「我いまだ木鶏たりえず」と言ったあの木鶏なのです。
木鶏会と高針剣友会が毎年10月に中間地点である沼津に集結して、一泊二日の稽古会も実施して旧交を温めています。特に稽古後の懇親会では尽きることのない話しで夜が更けるのを忘れるほどです。
昨日は木鶏会の稽古の後で懇親会を開き、私の還暦祝いをしていただいた訳です。メンバーのそれぞれが定年や中には脳梗塞を患った人もいますが、永く会が続くことを願っています。交剣知愛。
サラリーマン時代に名古屋に6年間おりましたが、名東区の高針剣友会で稽古をしていました。そこでは愚息もお世話になりました。名古屋を離れて久しいのですが、私と同様に、東京に帰った高針剣友会の元メンバー約10人だけで「木鶏会」という会を作り、毎月稽古会を開いているのです。木鶏というのは名横綱双葉山が連勝記録を破られた際「我いまだ木鶏たりえず」と言ったあの木鶏なのです。
木鶏会と高針剣友会が毎年10月に中間地点である沼津に集結して、一泊二日の稽古会も実施して旧交を温めています。特に稽古後の懇親会では尽きることのない話しで夜が更けるのを忘れるほどです。
昨日は木鶏会の稽古の後で懇親会を開き、私の還暦祝いをしていただいた訳です。メンバーのそれぞれが定年や中には脳梗塞を患った人もいますが、永く会が続くことを願っています。交剣知愛。
初めて携帯電話機を買ったのは今から14、5年前のことです。当時の携帯は今のゆうに3倍はあるごついもので、胸のポケットにやっと入るほどでした。それまではポケベルを待たされていましたので、便利さにびっくりしたものです。ただ、エリアがまだ拡大しておりませんでしたので、全国的に使えるというものではありませんでした。もちろんカメラは付いておらず、電話の機能だけで、トランシーバーの小型版のような感じでした。その頃から、監視カメラなどを使ってリアルタイムで遠くの動画が手元で見れるものはないものかと、それを事業にできないものかと考えていました。富士山頂からのながめや華厳の滝の様子が手元で見られ、大型スクリーンで喫茶店の壁などでそれが見れたらいいなーと思っていたのです。それが監視カメラの形ではなく携帯のカメラによる方法でほぼ実現可能になるとは夢にも思いませんでした。急速な発展を遂げた携帯を来週auからソフトバンクに替えることにしました。今度はどういう新機能でびっくりさせてもらえるか楽しみです。
港区白金や白金台に住むショッピングと優雅な食事を楽しむ奥方たちをシロガネーゼと言うそうです。兵庫県芦屋に住むご婦人はアシヤレーヌ、世田谷区駒沢公園近くはコマザワンヌ、足立区の住人はアダチーゼ、千葉県幕張はマクハリーヌだそうです。
みんなネーゼやレーヌを付ければいいというものではないでしょうが、それでは、駒込はコマゴメーゼ、巣鴨はスガモーゼ、田端はタバタンヌになるのでしょうか?
巣鴨はおばあちゃんの原宿としてすでに「刺抜き地蔵」がランドマークとして機能していますが、駒込、田端は今ひとつランドマークがなさそうです。駒込の六義園や旧古河庭園があるじゃないか、という人もいますが、これらは庭園であってイベント性に欠けます。田端に至っては、その昔、文士が多く住んでいたことを売りにしているようですがピンときません。駒込、田端は何か名物や一村一品に欠ける、ただ普通の駅のような感じで、対策が急務とされる町だと思います。
みんなネーゼやレーヌを付ければいいというものではないでしょうが、それでは、駒込はコマゴメーゼ、巣鴨はスガモーゼ、田端はタバタンヌになるのでしょうか?
巣鴨はおばあちゃんの原宿としてすでに「刺抜き地蔵」がランドマークとして機能していますが、駒込、田端は今ひとつランドマークがなさそうです。駒込の六義園や旧古河庭園があるじゃないか、という人もいますが、これらは庭園であってイベント性に欠けます。田端に至っては、その昔、文士が多く住んでいたことを売りにしているようですがピンときません。駒込、田端は何か名物や一村一品に欠ける、ただ普通の駅のような感じで、対策が急務とされる町だと思います。
先月58になったカミさんは大分頭が白くなってきました。言うところのごま塩です。かと言って染める様子もありません。来月60になる私の頭は、白くならずに薄くなるばかりです。顔の面積とおでこの面積が同じになったといつもカミさんから馬鹿にされています。
こう見えても、私には紅顔の美少年だった頃もあり、その頃は髪はふさふさでした。もっと正確に言うと、ふさふさより、バリバリでした。床屋さんによると、バリバリの方が薄くなりがちで、ふさふさの方は白髪になる傾向が強いのだそうです。
小中学生の頃は、後頭部が若白髪で真っ白でした。親が参観日に来て、顔を見なくても我が子がすぐ分かると言われたものです。兄もそうでしたので多分遺伝でしょう。私は若白髪であろうと薄かろうと何ら気にするタイプではありませんが、世の中にはカツラや植毛産業がはびこってそれなりに儲かっているようです。カミさんにはいつも「中身を見ろ」と言っているのですが・・・・。
こう見えても、私には紅顔の美少年だった頃もあり、その頃は髪はふさふさでした。もっと正確に言うと、ふさふさより、バリバリでした。床屋さんによると、バリバリの方が薄くなりがちで、ふさふさの方は白髪になる傾向が強いのだそうです。
小中学生の頃は、後頭部が若白髪で真っ白でした。親が参観日に来て、顔を見なくても我が子がすぐ分かると言われたものです。兄もそうでしたので多分遺伝でしょう。私は若白髪であろうと薄かろうと何ら気にするタイプではありませんが、世の中にはカツラや植毛産業がはびこってそれなりに儲かっているようです。カミさんにはいつも「中身を見ろ」と言っているのですが・・・・。
Kさんはある大手企業にお勤めで、理事にまでなった人ですが、私と同じ歳で、日本橋剣友会のメンバーでもあります。つい先日まで福岡で単身赴任をしていましたが、株主総会も終え、福岡のマンションを引き払って四街道市の自宅に帰ってきました。
福岡で単身赴任の頃は会議などで上京することもあったのですが、土・日に野間道場に稽古に来るのに、前日の夕方からわざわざレンタカーを借りて道場まで来ていたのです。何でも、電車だと一番電車でも道場に到着するのが遅れるのだそうです。剣の道を究めようとする者、このぐらいでないといけません。
Kさんが引越し荷物や自家用車を陸送し、今朝は自分の車で道場に来ました。さらに、会員の申込書を提出し、これからときどき稽古に見えるようになりました。定年後はどのサラリーマンでも第二の人生をどう過ごすか大問題ですが、私同様、彼は宮仕えは二度としたくないと言っていました。茶道での一期一会は剣道で交剣知愛といいます。
福岡で単身赴任の頃は会議などで上京することもあったのですが、土・日に野間道場に稽古に来るのに、前日の夕方からわざわざレンタカーを借りて道場まで来ていたのです。何でも、電車だと一番電車でも道場に到着するのが遅れるのだそうです。剣の道を究めようとする者、このぐらいでないといけません。
Kさんが引越し荷物や自家用車を陸送し、今朝は自分の車で道場に来ました。さらに、会員の申込書を提出し、これからときどき稽古に見えるようになりました。定年後はどのサラリーマンでも第二の人生をどう過ごすか大問題ですが、私同様、彼は宮仕えは二度としたくないと言っていました。茶道での一期一会は剣道で交剣知愛といいます。
長女は親の私が言うのも何ですが、利発な子でした。でも、それは今思うと、育てた環境がそうさせたのだと思います。
長女が小学校に入学した際、私は毎日の朝刊の広告のチラシを利用して計算問題を出していました。チラシの白い面を6等分し、1+1=2から始まって毎朝6問づつ問題を出したのです。それだけだったらどうと言うことはなかったのですが、正解したところは大げさに褒めてあげたのです。「すごい!この子は天才だ!」とか「お母さん!こんな難しい問題この子は解けたよ!」とかです。2、3ヶ月もすると出す問題にも苦労するようになりましたが、一番驚いたのは一学期の終業式の日でした。その日、学校から帰って昼ご飯を食べたと思ったら、夏休みの宿題に取り掛かり、その日の晩にはたった半日で全部し終えたのです。
長女は今、日本語学校の先生をしています。他人に教えるのが好きなのだそうです。その性格は「褒めれば豚も木に登る」が根底にあることを私は信じて疑いません。
長女が小学校に入学した際、私は毎日の朝刊の広告のチラシを利用して計算問題を出していました。チラシの白い面を6等分し、1+1=2から始まって毎朝6問づつ問題を出したのです。それだけだったらどうと言うことはなかったのですが、正解したところは大げさに褒めてあげたのです。「すごい!この子は天才だ!」とか「お母さん!こんな難しい問題この子は解けたよ!」とかです。2、3ヶ月もすると出す問題にも苦労するようになりましたが、一番驚いたのは一学期の終業式の日でした。その日、学校から帰って昼ご飯を食べたと思ったら、夏休みの宿題に取り掛かり、その日の晩にはたった半日で全部し終えたのです。
長女は今、日本語学校の先生をしています。他人に教えるのが好きなのだそうです。その性格は「褒めれば豚も木に登る」が根底にあることを私は信じて疑いません。
中学生の頃、田舎の秋田で国体が開催されました。住んでいた町はソフトボール会場になり、全国から選手や応援団が駆け付けました。昭和天皇も行幸され、町は県の花サルビアで真っ赤に彩られたのでした。昭和天皇はお召し列車でお着きになり、車で会場にお見えになりましたが、その車は陸送ではなく、予め貨物列車で到着していたとのことでした。
ボーイスカウト秋田第7団の我われは、沿道の警護や、交通整理、駅などの公共施設の清掃など、いろいろな奉仕活動を展開したのでした。前年から交通整理の訓練をし、秋田市の木の内デパート近くの交差点では信号機よろしく交差点の真ん中に立って交通整理をしたのです。中学生であっても当時は全ドライバーがその指示に従ってくれていたのです。私にしてみれば晴れの舞台でした。
小学生の頃、ボーイスカウトに入りたての頃は男の子(ボーイ)がスカートをはくなんて、と誤解されたり、「ほら、外人の子だよ!」などと指を指されたものですが、最近は見かけなくなり寂しい思いです。
ボーイスカウト秋田第7団の我われは、沿道の警護や、交通整理、駅などの公共施設の清掃など、いろいろな奉仕活動を展開したのでした。前年から交通整理の訓練をし、秋田市の木の内デパート近くの交差点では信号機よろしく交差点の真ん中に立って交通整理をしたのです。中学生であっても当時は全ドライバーがその指示に従ってくれていたのです。私にしてみれば晴れの舞台でした。
小学生の頃、ボーイスカウトに入りたての頃は男の子(ボーイ)がスカートをはくなんて、と誤解されたり、「ほら、外人の子だよ!」などと指を指されたものですが、最近は見かけなくなり寂しい思いです。
気に入ったマンションを借りようと思ったのに、ペットが飼えないということがよくあります。最初にペットが飼えるマンションを探して、そこが気に入るかどうかを検討するのが正道で、順序が逆なのです。古くて規模の大きいマンションほどペットは飼えないところが多いようです。原因はペットを飼うためには管理規約を改定しなければならず、規約改定には年1回の総会に諮らなければならず、少数意見や反対意見で決まらない可能性が高いからです。最近建ったマンションでペット可が見受けられるのは理解ある建築主が当初の段階でペット可を規約化しているからなのです。中小のマンションであれば、ある日突然ペット可になることもあります。オーナー=規約で、オーナーの鶴の一声で変わるからです。今日7月1日から朝稽古の道場の駐車場が使えなくなる計画でした。それが昨日の稽古直前の発表で秋口まで現状通りと伝達されたのです。工事の遅れで講談社が使ってもいいと言ったのです。正に、鶴の一声でした。
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